神の詩 第二章第十二節

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 神の詩 第二章第十二節

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「私も、汝も、これらの王子達も、過去に存在していなかったことはない。我々が今後
存在しなくなることもない。(十二)」

私たちの魂が永遠不滅であること、
時間を超越して存在することを、
クリシュナは明確にしています。

肉体が、
誕生、成長、発展、加齢、老化、死と
絶えず変化していくのに対して、
人の本質である魂は
永遠の存在として存在しています。

私たちは、
「死」を誤解しています。

私たちの住む社会は、
日常生活から徹底して
死を排除してしまいました。

都会に入ると、
どこを見渡しても「死」はありません。

人は病院で息を引き取り、
路上に動物の死骸があれば
すぐに排除されます。

現代人にとって、
「死」はもはや身近な出来事ではなくなってしまったのです。

そして、
このことによって、
死に対する大きな誤解が生まれ、
定着してしまいました。

霊性が低くなるにつれて人々は、
「死は個の終わり」
を意味し、
死によってすべてがなくなってしまう
という間違った概念が当たり前のようになりました。

そしていま、
人は、
死を避け、
怖れるようになっています。

この世に生きているうちがすべて、
死んだらお終いという誤解が生まれ、

その結果、
刹那的な快楽を追求し、
精神的なものよりも
物質的なものを優先するような風潮が生まれました。

死を誤解することで起こる大きな弊害は、
政治や経済をはじめ、
あらゆる分野において散見されます。

医療分野においても、
個人の尊厳よりも、
ただ死なせないことが優先されてしまった結果、
特に終末医療に関しては、
真の医療からはかけ離れてしまっている状況です。

人の活動に伴って起こっている地球環境の破壊も、
動物たちの絶滅も、
人々が浅い意識状態のままで、
「死」を誤解してしまったことに根本的な原因があります。

死を誤解し否定することで、
「生」までもが歪められ、
人は破滅的な行動が可能になって
しまうのです。

最近になって、
私たちが持ってしまった間違った固定観念が、
すべての苦しみ、
すべての憎しみ、
すべての悲しみの原因であることに
多くの人が気づき始めています。

死を避けることなく真正面から向き合い、
より広い視野で正しく理解することによって、
多くの人に正しい人生観と道徳観が生まれ、
目先の快楽や利益よりも、
長い未来へと続く行動ができるようになるのだと思います。

これは霊性を高める上で、
まず最初に
確信しておかなければならないことなのです。

魂は不滅である
という確信無くして、
厳しく困難な道を歩くことはできません。

「肉体の崩壊(死)は、霊的世界での誕生を意味する。」エドガー・ケイシー900-21

「死に逝くとは、消え行くことではない、移り往くことである…そしてあなたも、「あなたが測るその物差しで、自分も測り返される」ことを実際に体験することで、移り往くという意味を知ることができるだろう。」エドガー・ケイシー1158-9

「霊魂が死ぬことはない。それは神に由来するものであるからだ。肉体は復活し、若返ることが出来る。そして、肉体が地とその影響力を超越することこそそが究極の目標である。」エドガー・ケイシー262-85


次は
「この肉体に宿る者(霊魂・個我)は少年期・青年期・老年期をこの肉体で過ごした後、
他の肉体に移る。賢者はこれに惑わされない。(十三)」

皆さん
聖典よりも
コロナなどニュースの方が好きなようですので、
ちょっとだけ
遅れた人が追い付けるように
休憩しましょうか。

ブログ読者さんから
今の時期は
コロナの情報得るのに膨大な時間を使わないと不安なため
聖典を読む時間など取れない
量が多すぎる
という意見を複数いただきました。

よくあるパターンです。
(・∀・)

先月のひかたま閲覧数TOP記事は
アナコンダの記事でした。
神の詩の閲覧は、
アナコンダの記事の10分の1以下。

コロナの過去記事も
いまだに
神の詩よりもはるかに大人気。

今の世の中の縮図のようです。

「狭い門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」
マタイによる福音書第七章13-14

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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