あの頃と、なんも変わってない。

医療機関

23年前、ボクは研修医だった。

 

外科病棟詰め所で、

カルテを書いていた21時頃、

消灯時間の前に、患者さんが、

「センセ、ちょっといいですか?」

って、声をかけられた。

 

 

明日乳ガン手術があり、

拡大手術か、乳房温存手術か、

この時間になっても悩まれていた。

 

「私、乳首を残すか残さないか、

女の私にとってこんな辛いこと、

ホント、女をやめるかどうかぐらい、

一大事で苦しくって、、、、、

自分で決められない情けない気持ちになって、

それでも、誰かに相談したくて、、、、

若いセンセに申し訳ないんやけど、、、

相談にのってほしいんです、、、、、。」

 

乳房の診察をしながら、泣いたり笑ったり、

孫が産まれた話や、孫を産んだ娘はお転婆だった話や、

自分の両親を家で看取った話や、お墓の話、住んでる土地の話、

好きな食べ物や得意料理、旦那さんのこと、、、

それはそれは、術式とは直接関係ない話を、

23時ころまで、2時間位した記憶がある。

 

「先生ありがとう。

明日、全部取ってもらうわ。

やっと覚悟が決まったわ。

気持ちが落ち着いたわ。

本当に、ありがとうございます。」

 

病棟勤務の看護師さんは、

その日の術後患者さんの管理やら、

明日退院準備の患者さんのことやら、

もうそれはそれはドタバタで、

準夜さんから深夜さんへ、

申し送りの時間になっていた。

 

 

今日は、化学療法を、

止めるべきか、止めないべきか、

人生の最期を決めるような決断だと、

苦しくって苦しくって、悩んで悩んで、、、

涙が出るくらい情けなくなっちゃって、、、

昨日今日知り合った僕に電話で2時間近く話された。

 

どの場所でも、どんな時でも、

きっと、医療者は一生懸命なのでしょう。

今の今だって、医療者は必死なんでしょう。

 

でも、そこには、なぜだか、

患者さんの苦しみは、常にある、、、

なぜだろう、、、23年前のあの病棟で話した、

あの女性の顔が思い浮かんだ、、、、、

 

 

23年前のあの日の翌朝、

執刀医を待ち構えていたが、

病棟には来られなかった、、、、

乳がん手術の執刀医に、

手術で乳首を切り落とす前に、

彼女の想いを伝えたかったが、

執刀医は彼女が麻酔にかかった後、

やっと手術室に現れた、、、、、。

 

それでも研修医の僕は、

彼に彼女の想いを伝えたが、

「あーわかった」の一言で手術は始まり、

無事手術は終わった。乳房拡大手術が行われた。

 

術後ベッドサイドで、

麻酔から目が覚めた彼女は、

研修医の僕に、ただ一言、

「ありがとうございました、、、」

それ以上の言葉をお互いに続けられなかった、、、。

 

 

今も、どうすればいいのか、わからない。

何が正解かも、ハッキリ言ってわからない。

 

 

 

今の僕にわかることは、ただ一つだけ。

 

医療者だけで医療は成り立ってはいないんだ。

 

ということだ。

 

 

さあ、始まったばかりだ。

夢を見たい。そして、夢を追いかけたい。

 

学びを止めるな。歩みを止めるな。

よろしくおねがいします。

 

今日もありがとうございました。

 

 

 


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Source: 兵庫県三田市の在宅療養支援診療所「たなかホームケアクリニック」

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