第2幕へむけて、朝からうちの保健師が、
クリニックの大掃除に取り掛かっていた。
センセ、こんなん戸棚から出てきたで。
ニヤけ顔で渡すその手には、スエヒロの印がある封筒が、、、
ちょっと、読むわな、、、
いつものように調子に乗って、
声に出して読んでたら、、、
途中、涙が止まんなくなっちゃって、、、
センセ、ワタシやっぱ、もってるやろ、
このタイミングでこの手紙((笑))
嬉しいそうに笑う保健師は、
第2章へ向けて、着々と準備に
取り掛かってくれている。
第2章は、この手紙の中にある、
大切なことにこだわろうと思う。
スエヒロさんの許可はとってないけど、
天国からお許しいただくとして、
勝手に手紙を転載させてもらうことにした。
ゴメンナサイ。ありがとうございます。
前 略
長い間ご無沙汰しています、いつも気にはかけていますが中々会いにも行けず申し訳なく思っています
藤岡さんと良く先生の話はするのですが、、先生が忙しくて時間がとり難いのではないかと、
話ながら中々行けずじまいです、息子も再三誘うのですが、先生の邪魔になるのではと思い踏ん切りが
つきません、先生との出会いで私は人生が変りました、あの頃はいつまで生きれるかまだ半々で迷いが
有りました、先生に篠山病院に連れて行って貰ったお陰でイロイロ学びました、私の人生は苦労の
連続でした、その挙げ句脳梗塞になりこれで一生をおえたと思っていました、篠山でCI療法を学んだ
お陰で今度はもう一度生きることに決めました、子供の頃から親や親戚、先生や近所の大人からこいつは
いつかは新聞沙汰をおこすやつだと云われ続けていました、またそう思はれても当たり前でした、
いつかは事件を起こす様な事ばかり、生きるか死ぬかの事ばかりでした、兄が倒産して大阪に来て
から変心しました、そこでやつと一安心したところで脳梗塞になり先生との出会いから、今は
右半身不随がかなり回復して月刊デイにリハビリで練習した、刺繍で二度優秀賞を貰いました、
その上二度目に立ち上げた会社の四十年記念の表彰式に出る事も出来、尼崎商工会議所の百周年記念
に呼ばれて行きました、いつ死んでもおかしくない時から14年、今別な人生を歩いている様な
気がします、人の出会いが人を変える、私は先生と出会ったお陰でもう一度生きたいと思い、
生きるために人の知らないところで自分なりの努力をしました、人以上とは思いませんが、自分なり
の努力をしました、それは自分の為と私に教えてくれた人、力を貸してくれた人にお礼のつもりも
有ります、30歳位で死にかけた時12人分の輸血を受けました、輸血は12人分でも採血に協力
してくれた人達は
得意先の阪金属や加島工業,柄谷工務店の社員、姉の付き合いで創価学会の人達、いつも世話に
なっている人達、又見た事も、会った事も無い人達の目に見えない処での協力、会ってお礼を云う
事も出来ない、私は自分の力で生きてるのではなく会った事も無い世間の人に生かされているのだと
思います、今の私は先生達の力と協力で生きているのですから、これからは息している限り少し
でも役に立てる様に努力したいと思います、これからも先生の力と協力をお願いしたいと思って
います、長々のご無沙汰お許しください、そのうち必ずお伺いいたします、
追 伸
今ここに(〇〇整形)に実習生の〇〇さんが来ています、最初はカチカチで笑顔もありません
でしたが、最近は笑顔も出る様になり、大分人なれしてきたように思います、私がもう少し
ここにいたらどうかと聞いたら、次ぎは篠山の田中先生のところに行くと云うからびつくり
しました、余りの偶然に先生に手紙を頼みました、悪しからず、この人も先生の力で一人前の
仕事の出きる立派な大人に仕立てた下さい、私同様感謝すると思います、
平成25年5月23日
田中 章太郎先生ぇ 末廣正美
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Source: 兵庫県三田市の在宅療養支援診療所「たなかホームケアクリニック」
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