神の詩 第二章第三十七節

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 神の詩 第二章第三十七節

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「討たれれば、汝は天界に行くだろう。勝てば地上の栄華を極めるだろう。だから、ア
ルジュナよ、立ち上がって、戦いを決意せよ。(三十七)」

ここの部分は
禅の公案(禅問答)のようになっています。

非暴力であるはずのクリシュナが
戦いなさい
と進言します。

禅問答では、
師匠が出す問題(考案)に
弟子が答えていきます。

質問と答えが、
一般の考え方だけでアプローチすると
論理的に矛盾することが多いのです。

でも
実際に真理に到達した観点からは
何の矛盾も無い。

これは
言葉で表現することのできないものを、
心から心へ伝える方法として
使われています。

この部分も、
言葉だけで解釈する人によっては
戦争を奨励しているとか、
自己の内部だけの問題とか、
さまざまな解釈がなされていますが、
それを超えた部分です。

ここは
一度
すべてを読み終えた後で
理解できる禅問答の公案になっています。
例えば、
「人間の肉体は、時とともに滅んでしまいます。では不生不滅とはどのようなものでしょうか?」
と弟子が尋ねると

師は
「山の花が満開で美しい。谷を流れる水が澄み切って美しい。」
と答えます。

一般社会では、
ほぼ無いような答えです。

これが禅問答。

その真意が十分に伝わるまでは、
今よりも
高い波動の段階に到達する必要があります。

頭で論理的に考えて
答えを導き出すものではないのです。

だから
一つの公案で何年も、
時に
何十年も費やすこともあります。

戦いなのに戦いではない。

日本の武道もそうです。

武道は
かつて
命を懸けた真剣勝負でした。

それでも
戦う前に
お互いに一礼し、
終わってからも
お互いに一礼し、
相手を敬います。

武道は
勝ち負けを超えた
己との戦いが主体であるからです。

他人から得た知識では、
自分のものではなく、
修行生活の積み重ねから
言葉を超えた答えを導き出さなければならないのが、
禅問答です。

それが
このバガヴァッド・ギーターにも出てきます。

クリシュナは、
アルジュナの過去も現在も、
そして
未来も見通して
この言葉を述べています。

そこには
アルジュナの意志による
選択の幅が見られます。

地上に下りた人の人生は、
その人自身が決めていくことであり、
高次の存在は
決して人に命令することなく、
クリシュナがそうするように
人の自由意思を尊重して、
人よりも
はるかに大きな視野に立って見守っています。

いずれにしても
崇高な目的を掲げて
正しい動機と高い精神性を持って
挑戦することによって、
結果がどうあれ、
良いことしか起こらない
とクリシュナはいいます。

これは
神の因果律が
正確に作用することを意味しています。

中国の儒学者である胡寅がまとめた
「読史管見」の中に
「盡人事而待天命(人事を尽くして天命を待つ)。」
という言葉が出てきます。

天命には、
「天から与えられた使命」

「天から与えられた運命」
の二つの意味がありますが、
私たちにできることは
自分のできることを
最大限の能力を発揮して行うことです。

次は

「苦楽も損得も勝敗も同等と見なして、戦いに備えよ。そうすれば、汝は罪を犯さない。
(三十八)」

よく内観してください。

PS:関係ない話ですけど

英語で
ニューヨークに住む人は、ニューヨーカー
パリに住む人は、パリジャン
ロンドンに住む人は、ロンドナー
ハワイに住む人は、ハワイアン
と言います。

では
東京に住む人は?

トウキョウアイト

エルサレムに住む人は、

エルサレマイトです。

足立区に住む人は

アダチクミンのようです。


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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