広島 宮島④【清盛(きよもり)神社】

その他

厳島弁財天が祀られた大願時の御堂脇を通り抜けますと、海岸沿いに「清盛神社」がございます。

この神社は、厳島神社を“海に浮かぶ寝殿造のお社”として現在の規模まで造営させた、平 清盛公の偉功を讃えて1954年に創建されたそうです。

厳島神社の造りを拝見しますと、昔の方のお考えはなかなか凄いなとつくづく感心いたします。大胆かつ、精妙な思考のもとに幾年(いくとせ)もの年月を超え、今なおその威光を放ち続けるお社が、厳島神社です。

今回は、“生きるために必要なこと”についてお伝えいたします。

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(筆者が、平 清盛公の御霊に質問いたしました。「わたくしたちが今後生きていくために必要なことは何ですか?」)

「厳しき環境は、類(種類)の違いこそあれ、どの時代でも同じこと。

周り(周囲の環境や状況)を見れば、本意ならぬ(思うような様子ではないこと)も多かろう。

無論、人は周囲の状況、あるいはその変化に左右される(影響を受ける)ものでもある。

しかしながら、今、真に欠かせぬのは、“周り”よりも、まずは自らの“在り方”について、真に、その用いることこそを(※ここでは、意図的に使える物事を示します)、内(=自分自身)に求めていくべきだろう。

その、自らに内在する、“用いるべき”事柄とは一体何か。

それは、何もかも、人の特徴は、“考え及ぶ”ことができることにある(※“考えがそこまで到達する”から転じて、ここでは、“遠く想像を膨らませる”という意味を示しています)

たとえ、目前には現れぬ(現実には無い)物事も、人は、自らの思考にて、撚り(=組み立て)、時の経過、変化を勘案し、ついには(最終的には)物事がいかなるか(どうなっていくか)を考えていくのである。

さらには、何らかの手を加えたならば、それはどれほど(どれくらい)の力(影響力)を及ぼし何が体現されるか(どのような結果となるか)、自らの考えを巡らせるならば、“向かうべき先”(=様々に成せる物事・やり方)は、山ほどに(無数に)ある。

今そなたらの、もっとも乏しき(欠如していること)は、何をおいても、視界の“狭さ”ーーー 遠く(将来・未来)を望みゆく技量(器)である。

自ら現わす(自分でおこなう)その“一手”が、長い年月をかけ、いつかは必ず結実となること(=“結果”として繋がること)への理解に、(今の時代は)実に乏しい。

端的(短絡的)とも、また、根(こん:根気)の何より薄弱とも申せようか。

人の世は刻々と変化を遂げ、幻勝る(※不確定な要素が多い、という意味です)、誠に朧気(おぼろげ)なる年月である。

今日ある命も、明日あるとは限らぬ。今日ある輩(ともがら:仲間)が、明日わが身に添う(※味方である)とも限らない。

誠に辛き世(=世知辛い時代)と、そなたは、涙に暮れるか?

いや、未だ定まらぬ(不確定の多い)日々ならば、民よ、自らの信念にて、刻々と変化するその最果てに、自らが思い描く(望む)“結実”をしかと現わす、その気概を持つが良い。

望む結実のための欠かせぬ“一手”は、まさに目前(=今この瞬間)にこそ成されるべき。

真剣なる“一手”は、人の生きざま(人生)をも強くする。

広く考え及び(視野を広くもち)、還る(帰結する)は、今まさにその“一手”にあり。

“真剣”とは(“真剣”という言葉は)、極む(極める)意にこそ用い、自らの生きざまの“核(=中心)”とせよ。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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