神の詩 第三章十三節 3

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神の詩 第三章十三節

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「祭祀のお下がりを食べる善人は、すべての罪から解放される。しかし、自分達のためだけに料理を作る悪人は、罪を食べる。(十三)」

「喫茶喫飯」
という素晴らしい言葉もあります。

お茶を飲む時には、
世俗の煩わしい雑踏から離れて、
お茶に向き合い味わうことに集中します。

お茶の葉の生命エネルギーと意識を感じ、
感謝し、
作り手の真心を思いながら、

お茶の葉の色、形、香り、味を味わいながら、
お茶を入れます。

五感を使って
お茶をゆっくりと
味わうように飲みましょう。

お茶の持つエネルギーと意識が体内に入り、
体の隅々まで浸透していく様子を
イメージするとよいでしょう。

深い静寂と安らぎの中で
お茶の温かいエネルギーが
全身に広がっていき、
あるがままの心地よさを感じる時に、
お茶との一体感が生まれます。

そのとき、
この時お茶を飲むという行為が、
どんな瞑想にも匹敵するほどの
神聖な行為へと変わります。

食事をする時には、
食事に集中し、
ゆっくりと感謝して味わいます。

食事を頂くときの食への感謝、
その身を犠牲に捧げてくれた動植物への感謝、
慈悲、同情、優しさに感謝、
作物を育ててくれた人たちへの感謝、
真心込めて料理してくれた人たちへの感謝。

この時、
食事という行為が
どんな祈りにも負けないくらい
神聖な行為へと変わります。

御飯も御味噌汁も御菜(または御数おかず)も御がつくのは、
感謝の気持ちからです。

これらの思いを持って食事することは
健康への第一歩です。

これは喫茶喫飯だけではなく、
日常の行為すべてにおいても
同様です。

一度この習慣がついたら、
日常のさりげない動作、
お風呂に入ったらお湯と一体化し、
朝日を浴びたら太陽のエネルギーを全身に送り、
料理を作る時は素材のエネルギーを感じます。

すべての行為は、
心を豊かにしてくれるものへと変わります。

私たちは、
目に見えない思考を軽視しがちですが、
思いは
物質と同じように実体があるものなのです。

最初は
「ごっこ」からでもいいと思います。

自分の出来る範囲で、
まねごとのような感覚で気軽に行なえば、
それでいいのです。

自分が、
イメージするだけでも
世界が大きく変わることがわかります。

それがわかれば、
次第に
本格的になっていくものです。

中国禅宗(南宗)の第六祖である慧能禅師は、
これを「六祖檀経」の中で
「一行三昧」
という語で表しています。

この言葉は、
日常生活において心静かに、
そして
感謝の気持ちと共に、
心を込めて行動すれば、
すべての行為が霊性進化の行になる
という意味を示しています。

「祭祀のお下がりを食べる善人」
とは、
感謝の気持ちと祈りの象徴でもあります。

瞑想が魂を強化するように、
祈りは魂を豊かにします。

どちらも分離感を超えて一体感を創り出し、
自分の意識を高め、
浄化します。

そして、
愛に満ちたあらゆる行動の中に瞑想があり、
あらゆる思い、
すべての言葉が
祈りになります。

「毎日、グレートスピリットに御食事をお供えする。これは規則があって行っているのではない。誰もが、万物を創造し維持してくださるグレートスピリットに感謝して、喜んでもらうために、自分なりの最善の方法でお供え物を作っているのだ。」ブラック・ホーク、北米ソーク族
「万物は食物から生まれ、食物は雨から生まれる。雨は祭祀から生まれ、祭祀は行動から生まれる。(十四)」

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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