武蔵御嶽神社の境内社には、巨福(こふく)社、北野社などの他、「神明社」がございます。
御祭神は、伊勢神宮をはじめとして全国に多数お祀りされております “天照大御神(あまてらすおおみかみ)”と“豊受比賣神(とようけひめのかみ)”です。
社殿の造りは“神明造”と呼ばれ、すっきりとした非常に簡素な印象です。その簡素さがむしろ神を想像させるのかもしれません。
わたくしも、伊勢神宮へお参りする際には、それぞれの社殿をじっくりと拝見し、日本ならではの信仰の姿に思いを馳せております。
本日は、人が生きることの重み(=重大さ)について、神明社の神に御言葉を賜りました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「共に生き合う(=近しい間柄として関わり合いながら生きる)のなら、無論、互いに和合を心得、仲睦まじくあることが何より望ましいものです。
各々の、今その状態が(※言動なども含みます)、少なからず、互いの関係につぶさに作用(影響)を及ぼすがゆえです。
では、はたして、互いの存在が、近くに非ざる(=関わることのない)際には、近しき間柄のごとくの心を砕かずとも良いのでしょうか。
あなたがたが思うより、この世は緊密な関係の上に成り立っております。
なおかつ、昨今では、互いがさらに“近く”在(あ)り、互いの姿(行動)が様々な面に、他へ何かしらの作用(物事の起因)となることを、あなたがたには是非解して(=理解して)いただければと願います。
誰かを直(じか)に幸せにすること、それも良いでしょう。
ですが、この世は、それよりもはるかに大きな括(くく)りでの、生命たる者たちの関わり(関係・影響)の理(ことわり※ここでは仕組み・原理、という意味です。)があるのです。
すなわち、各々が今、己の志(信念)に従い自らの立場にて誠実に、そして明るく生きること、言い換えれば、今世、自らが与えられし人生こそを真摯に生き通すことで、それはまさに、いつかどこかしらで、多くの人々の“希望の燈火”となり世を照らし、ついには、皆をより良く生かすことができる“結実”を、けして忘れてはなりません。
一人の生き方は、それほど大きく、この世に作用を及ぼします。
ですから、この真理に気づきし者こそは、自らの人生を余すことなく、そして、己の人生を、誰に依拠する(安易に他に頼ったり、悪因を他に求める)ことなく、いよいよ誠実に生きてまいるのです。
(社殿の神明造を、感心しながら拝見していたRinokiaに、あえて神は仰いました。)
あなたがた一人ひとりの生きるその姿が、この世においては何よりも“華”であり、それ以上の、われら(神々)の求める美しさはありません。」
(次回⑥最終回 となります。)
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Source: 神々からのメッセージ
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