少彦名大神を祀る“薬王社”での参拝を終え、表参道をさらに真っ直ぐ進み、本殿へと参りました。
こちらの住吉大社の社殿はオレンジ色に近い朱色で、白砂と併せて明るい印象を醸し出しております。
本殿向かって右には、2メートル以上はあるかと思える“古代力士像”が、黒光りで堂々と立っております。
突き出している右手の皺(しわ)が、ちょうど漢字の“力”に見えることから、その手に触れると力がいただけると言われているそうです。
国指定の重要文化財の本殿の社殿は、黒田長政公の寄進ということですから、時代の変遷とともに人々に寄り添ってきた大切なお社です。
御祭神は、“底筒男神(そこつつのをのみこと)・中筒男神(なかつつのをのみこと)・表筒男神(うわつつのをのみこと)・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)”です。
今回は、“生かすか否かの選択”について、御言葉を賜りました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「人は、人生の諸々についてを、自らの意思、そして行動によって“生かすも殺すも”できる。
無論、現実には、殺(あや)めることは無くとも、内実この世はあらゆる“縁(えにし)”が引き合い、人や物事の多層の往来のなかで日々生じているゆえ、これらを、自らの伸長を得るがため“生かす”か、それとも、安易なるままに絶(た)やすか、この岐路(=選択)を、各々に委ねられていると思うがよい。
世の事象を“生かす”とは、何をおいても、まずその(対象の)の物事をつぶさに見定め、その先行き(可能性)を見通すことが実に肝要なり。
息つく島無きがごとく、変容激しき世にあって、なおさら見る目(=姿勢)は懇(ねんご)ろに、そして物事を真っ直ぐ捉(とら)えることの、いよいよ欠かせぬものとなるだろう。
世に配されし、あらゆる“好機”を安易に逃(のが)すことなかれ。
今まさに己に生かすべくは、行動の機会かもしれぬ。才(=才能)かもしれぬ。あるいは、人との一層の関わり(縁)かもしれぬ ーーー
“生かす”人生、“生かさぬ”人生。そのどちらも、当人の歩み(=人生)として、日ごと(着実に)積み上がっていく。
そしていつしか天へと召されし暁(あかつき)に、在(あ)りし日の光景(=生前の様子)を、あたかも“走馬燈”のごとくに(神に)見せらる。
その場にてそなたが流す“涙”に、今生のすべてを物語るだろう。
すなわち、生かし生かされた“共愛”の感涙か、それとも、神の愛さえも拒(こば)み、殺し殺され、けして生かされることなき、悲嘆の涙か ーーー」
(次回③境内社:志賀神社 へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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