きのう、雪が降った
あの日もそうだった
ただ違ったのは、あの日は曇り
が、今日は青空
「“悪性”だね。“乳がん”ということだね」――
おもむろに口を開いた医師
『なに言ってんの?
4年8か月前、“良性”って言ったじゃん。
今さら“悪性”ってなんだよ。
私、もう死ぬの?』
10日前に受けた、
しこり切除の病理検査を聞くために、
クリニックへ行ったのは午前
「(病理)検査の結果が出たので、
なるべく早く聞きに来てください」
と、
前日に看護師長さんらしき人から
電話をもらっていた
胸騒ぎは収まらなかった
それはここに来るまでの経緯が
あまりにも不審なことが多かったからだ
クリニックへ来てからも、
なかなか呼ばれなかった
新しい患者が訪れ
次々に呼ばれてゆくにもかかわらず、
私は飛ばされているように感じた
結局、診察室へ通されたのは、
受付から1時間以上もあと
「がん」と言われて、
そこまで待たされた意味がわかったような気がした
大きな病院へ紹介状を書いてもらっている間、
私は待合室で泣き通しだった
患者さんはほかにもいる
が、涙が止まらなかった
「佐藤さん!!」
しばらくして看護師長が一通の封筒を手にし、
慌ただしくやってきた
「これをあちらの先生に渡して」
待合室のど真ん中
名前を呼ばれたことで、
私は立ち上がっていた
周囲に目を遣る勇気はなかったが、
間違いなく、私と師長は衆人環視の的
それでなくても泣き通しだった私に、
よくないことがあったのは
誰もが容易く想像できる状況だ
こんなとき、
もう少し配慮があれば...
『悪性だったよ。
これから大きな病院に行ってきます』――
私は彼にメールを送った
同居している両親にも電話をしようと思ったが、
涙で冷静に話せる自信はなかった
寒空の中
私は紹介状を持って、
そのまま大きな病院へ向かった
大きな病院では
転移がないかいろいろな検査の予約を入れた
手術の話も出たが、
今、「がん」と言われたばかり
気持ちの整理がつかない
頭も心も全くついていかない
もう少し、時間がほしい...
私は人目を避けるように、
冷たい風に吹かれ、
泣きながら歩いて家に帰った
家に着いたとき、すでに3時を回っていた
「悪性だったみたい」――
家族との夕食後、台所で、
私は努めて明るく母に伝えた
が、きっと顔は引きつっていただろう
「え? あんた乳がんなの?」
「うん、“乳がん”だって。
今さら...って感じだよねー」
驚いた母は、
居間にいる父のところへ飛んで行った
居間で話をしている父と母の声を聴いていたら、
我慢ができなくなった
次の瞬間、
こらえていた涙が堰を切ったように流れはじめる
そして私は嗚咽とともに、その場に泣き崩れた
「大丈夫だ...大丈夫だ...」
母はそう言いながら、
私を優しく抱きしめてくれた
そんな母もまた、泣いていた
『ごめんね。
お母さんもこの間、
甲状腺がんがわかったばかりなのに、
私までこんなことになっちゃって...。
どこまでも不幸な娘でごめん...』
今日は、“2度目の誕生日”
乳がんになって新しい人生を歩きはじめた日
あれから15年――
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Source: りかこの乳がん体験記
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