互いに綱を渡し合う

その他
物心つかぬ頃(=幼年)より続く親の支えは、何をおいても有り難きもの。

そして、親という存在と日ごと己に対し繰り返される言動は、その者にとりて、以後の生き方(あるいは考え方)をも左右する。

こうして、一人またひとりと、親の影響を悉(ことごと)く受けた“人格”は形成される。

それほどまでに、親とのつながりは(良くも悪くも)強固と申せよう。

親とは、あるいは家族とは、果たして良き後支(あとざさ)えであろうか、それとも、いかんともし難き“障壁”か。

人生は孤独でもあり、世の忙(せわ)しない動きのなかにたった一人、あたかも取り残されたかのごとく、空虚な気持ちさえ生じる。

今この瞬間に、人生という長い道のりより脱却するならば、その心は真に救われるだろうか?

まるで“綱渡り”のように、ただ一度の脱落により、生身の肉体をもつ人間ゆえ、二度と元に戻ることはない。

この意味で、“綱”とは人間の命そのものであり、さらには、自らと親、そして過去幾重にも連なる先人(ご先祖様)たちの命の“橋渡し”でもある。

あぁ、まさに、誰も彼も、途方も無きのほどの命がその身に紡がれ、幾多の“奇跡”によってこそ、この世に降り立ったのである。

先人たちの切なる願い、そして未来への明るい希望により、一本の“綱”(=人生)を歩むことを、他でもない、そなたが託されたのだ。

人生においては、一つまたひとつと、己の歩みにて“縁(えにし)”の綱を互いに渡し合い、より強固な“絆”を結びゆく。

ゆえに、すべての者よ、互いに結び合う絆を信じ、心の糧とし、命ある限りこの世の綱(人生)より脱却してはならない。


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Source: 神々からのメッセージ

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