猿田彦大神の船玉神社との総意でいただいた、志賀神社(御祭神:綿津見大神)の次は、「人丸神社」です。
飛鳥時代の歌人“柿本人麻呂公”を御祭神とし、芸能上達を御神徳といたします。
芸能とまではいかずとも、人にはそれぞれ思わぬ特技やまた長い時間をかけ習得した技能などがございます。
それらは紛れもなく、人生の歩みのなかで自身なりの向上(成長)によって得られたものですから、芸能とは、その人を形づくる要素の一つとも申せます。
人生をより彩りあるものとするためにも、学問に留まらずこうした特技や才能なども大切にしてまいりたいですね。
本日は、“芸能上達”についてその意義を人丸神社の神にお伺いいたしました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「“芸能上達”の意義は、無論、自らの技能を修練し、飽くなきまでに心身の向上を求むることにあるだろう。
ゆえに、一にも二にも(=なにはさておき)人は、何かしらの技能(=特技など)を持つことが望ましい。
だがそれ以上に、芸に勤(いそ)しみ研鑽(けんさん)を目指すことで、以降(=これまで以上に)多様なる(類いの)人々との縁(えにし=関わり)を得られることこそ、(芸能上達の)本義なることをけして忘れてはなるまい。
芸によって人は心身が成長する。
そしてそれ以上に、この世の(年齢・立場などの)あらゆる人々との交わりによってこそ、多面に学び、そして成長することが叶うのだ。
世界はまだまだ広い。
この広き世界に接し、人生をあらゆる方向へと大いに進ませゆくがため、芸能は古くより民の欠かせぬ物事として据(す)えられ、そしていつの時代でも(様々な形・手法で)その上達が目指されているのである。
世界は彩りに溢(あふ)れ、それは何もかも、この世に生きる者たちの日々をより豊かに、そして魂の高みへと押し上げるべくの、天の采配でもある。
彩り溢れる世界が生み出す幾多の出来事は元より、けして易(やす)からず。
だがそれにも怖気(おじけ)ず堂々と立ち向かい、世(=世間)を渡り歩くがための術(すべ)、それが、芸能上達なのだ。」
(次回⑤境内社:三日恵比寿神社 です。)
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Source: 神々からのメッセージ
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