千駄ヶ谷 鳩森八幡神社に参拝した日は、他にもいくつか参拝を予定しておりまして、次に向かったのが青山熊野神社です。
その途中に見つけたのが、前回ご紹介した「お万榎稲荷神社」と、浄土真宗大谷派の「慈光寺(じこうじ)」でした。思わずこうした神社仏閣を見つけるのも楽しいものです。
当寺は阿弥陀如来を御本尊とし、門を入ると正面に白屋根の本堂がございます。
境内はとても手入れの行き届いたお寺で、都会ならではのモダンな印象です。
当日は快晴でしたが、本堂前で祈り始めると、にわかに太陽が雲に隠れました。辺りが薄暗くなったかと思った瞬間、思いもよらぬ突風が吹いてきたのでさすがに驚きました。
気を取り直して祈った際に、御仏(みほとけ)よりいただいたのが以下の御言葉です。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「人間の“因果応報”について御話ししましょう。
業(カルマ)とは、良きものも、また悪(あ)しきものもあります。
その、いずれかの所業を成した(おこなった)者が、やがては(なんらかの)幸不幸を得る、つまりは自己の運勢(人生の良し悪し)は循環し、いわば “完結”を見る(=相応の結果を得る)ことを、元来は意味いたします。
ゆえに、自らのおこないを良きものとし、たとえ僅かなりとも日々徳積みを心がけることこそ肝心である、という考え(主張)に至るのです。
しかしながら、近年、この自己の循環(完結)は、その枠を大きく超えたようです。
すなわち、すべての人間のおこないの良し悪しを、あなたがたすべての因果応報とし、悪行ならばそれを消滅させるたがめ、人生を投じることとなる。
たとえ他者の悪行とても、それは誰しもが(業を)免れ得ることではなく、生きとし生ける者たちの(悪い意味での、負の)財産となるのです。
ですから、地球の行く末は、いずれの者のその姿、(言葉を含めた)おこないに依(よ)っている(=かかっている)と申しても過言ではないでしょう。
ゆえに、各々(の人)は、人類のこれまでの歩みを受け継ぎ、そして以後の人類の行く末を決めゆくためにこの世に降ろされし“使者”となり、その生き方は、すでに一個人、あるいは家系などを超えゆく、大きな流れ(=括り・仕組み)のなかの欠かせぬ要(かなめ:キーパーソン)となるのです。
壮大なる宇宙における、幾多の生命のなかの一つ、“人間”という存在の、今や立ちどころ(立場・立ち位置)が変わったのです。
それであるなら、今や、わたくしども(御仏)に委ねられし、この世(人間界)の役目、そして、衆生救済の意(意義)もまた、人間の変容にともない、少なからずの変化を見ることになるでしょう。
いいえ、あなたがたが、自らの魂にて感じるままに生き、自らに授かる責務をまっとうする、その覚悟と力強さを世に発するならば、わたくしどももまた“変わらねばならぬ”のです。」
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Source: 神々からのメッセージ
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