そもそも、なんで『非開始と中止』のことを考えるのか。
それは簡単なこと。現実がそうなっているから。
良いか悪いかではなく、結局、現実がそうだから。
ADや、
ACPやALPや、
人生会議みたいなもの、
これができてるなら何も問題ない。
でも、ぶっちゃけ現実はそうではない。
だいたい、
僕みたいなだらしない人間は、
その時のための準備なんか、
これっぽっちもできないししたくない。
これが本音だ。
だから世間は、用意しろ!と迫るが、
なかなかどうしてそうもいかない。
47年生きてきて、準備が整って、
本番をむかえたことは、正直なところ、皆無だ。
じゃあ、こんな準備のできない人間は、
その時の人権は保証されないんだろうか?
そんな筈はないはずだ。
どんな時だって、基本的人権は守られていると信じたい。
今日は、祖父母の墓掃除をし、
息子のことのお礼を伝え、
49日法要の母のことも
仕事で参加できない為、お願いしてきた。
『非開始と中止』をなぜ考えるか?
それは、僕のような人間でも
リビング・ウィルを尊重してほしいから。
今日の墓参りは良い時間となった。
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Source: 兵庫県三田市の在宅療養支援診療所「たなかホームケアクリニック」
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