神の詩 第四章十七節 6
「行動について知ること、禁じられた行動について知ること、定められた行動をしないこと(無行動)について知ることが必要である。行動の道は奥が深い。(十七)」
ヤーマ(禁戒/日常の心得)
ヤーマ1:非暴力(苦痛を引き起こさないこと:アヒンサー)
暴力の波動が全く無い慈悲深い者は、
特有の美しい調和のとれた波動を放射します。
特有の美しい調和のとれた波動を放射します。
周囲に
慈悲深く優しい影響を与えます。
他の存在に対して
暴力的な行動をするのは、
人が
無智の中で誤った認識を持つことに他なりません。
暴力的な行動をするのは、
人が
無智の中で誤った認識を持つことに他なりません。
ユクテスワ大師の元にいる時に
ヨガナンダ大師は、
太ももの血を吸っている蚊を叩こうとした時に、
はっと非暴力を思い出して、
蚊を叩くのを思いとどまりました。
ヨガナンダ大師は、
太ももの血を吸っている蚊を叩こうとした時に、
はっと非暴力を思い出して、
蚊を叩くのを思いとどまりました。
その時に
ユクテスワ大師は、
「お前は、心の中ですでに蚊に致命傷を負わせてしまった。」
と述べています。
さらに、
アヒンサーとは行為だけでなく、
その行為を行おうとする欲のことを示している
ことを説明しています。
アヒンサーとは行為だけでなく、
その行為を行おうとする欲のことを示している
ことを説明しています。
人に害を及ぼす生物を殺すことを余儀なくされる場合があっても、
その生物に対して
怒りや憎しみと言った負の感情を起こすかどうかは
自分の選択であること、
物質世界の生物たちは、
どんな形態であろうと
等しく生きる権利があること
などが説かれます。
ヨガナンダ大師は、
さらに
「大型の野獣に襲われた時には、殺さずに、非暴力を貫いて殺されてしまうのでしょうか?」
と質問しています。
さらに
「大型の野獣に襲われた時には、殺さずに、非暴力を貫いて殺されてしまうのでしょうか?」
と質問しています。
ユクテスワ大師は、
生き物を殺めることには、
どんな理由があろうと
多少の罪となるものの、
神の子として創造された人間の身体の崇高さとその身体を損傷することの方が
はるかに大きな負のカルマをおうことになる
ことを説かれています。
生き物を殺めることには、
どんな理由があろうと
多少の罪となるものの、
神の子として創造された人間の身体の崇高さとその身体を損傷することの方が
はるかに大きな負のカルマをおうことになる
ことを説かれています。
私たちは、
自分の身体を
神聖な神の社として扱っているでしょうか?
自分の身体を
神聖な神の社として扱っているでしょうか?
自分の身体を大切に扱わないことや
欲望のままに身体を使うことは、
暴力に値する行為です。
食べ物も、
肉食から、
次第に菜食へと移っていくのも、
非暴力への道になります。
肉食から、
次第に菜食へと移っていくのも、
非暴力への道になります。
ラマナ・マハルシ大師は、
植物や果実を採取する時でさえ、
優しくそっと行うよう
弟子たちに伝えています。
続きます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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