神の詩 第四章二十五節

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神の詩 第四章二十五節

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「神々に供物を捧げるだけのヨーガ行者がいる。ブラフマンの火にみずから自己を供物として捧げるヨーガ行者もいる。(二十五)」

神々への強い信頼と揺るぎない崇拝に
全集中して生きる人もいます。

自分のすべてを神々への崇拝に使います。

崇拝に基づいた生き方を通すことによって、
意識を超越することになります。

「ブラフマンの火にみずから自己を供物として捧げる」
とは、
低次の自己を滅して、
神への感謝と祈りの中において、
見返りを求めない献身的な活動を
捧げることになります。

ラーマクリシュナ大師は、
神への愛が限りなく強まり、
六年間眠らずに
神へ祈りを捧げたとされています。

供物とは、
物質的な物だけを指すのではなく、
目に見えないもの、
信頼の気持ちや献身の思い
などを指しています。

全面的に思いを捧げることは
とても尊いものとなります。

一般的に形に表す供養としては、

すべての存在に供物を捧げる
自分と関わるすべての人に供物を捧げる
ご先祖様に供物を捧げる
神聖なるものに供物を捧げる
神様に供物を捧げる
などがありますが、

神々に供物を捧げるとは、
ありとあらゆるものに対して
供物を捧げる行為です。

それは
特別な儀式ではなく、
日常生活のあらゆる所作が
儀式となります。

さらに
自己を供物とするという尊い行為は、
自分の身体、
自分の行動、
自分の言葉、
自分の思い、
自分の存在のすべてを

神の御心に明け渡す
という意味になります。

次は
「聴覚などの感覚を自己制御という火に供物として捧げる者がいる。音などの感覚の対象を感覚という火に供物として捧げる者もいる。(二十六)」

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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