「子どもがいなくてよかった」と思うしかない。

「もう子どもは産めません」――

乳がん告知を受けてから、
いろいろと調べた

だから、それはわかっていた

が、目の前で、はっきりと
主治医の口からその言葉を聴くと、
心にズンと、重い何かが圧しかかった

「半年前に、
 子宮筋腫の摘出手術受けたばかりなのに、
 なんで?

 “筋腫が大きく複数あるから、
 このままでは子どもが育たない”

 そう婦人科の医師に言われて、
 おなかを10cmも切る手術に踏み切った

 筋腫の手術した意味ないじゃん」

それは、希望の手術だった

“泣くに泣けない”とはこのことだ

筋腫の手術から半年経って、
ようやく小走りができるようになった頃だった

それでも、結婚をしていたわけではない

14年、つきあっていた彼はいたが...

『こんなガラクタな身体になってしまった私は、
 きっと彼と別れるべきだ

 彼には健康な女性と結婚をしてほしい

 そして、子どもをつくってもらいたい

 いや、乳がんの治療はせずに、
 このまま子どもをつくろうか...』

そんなことも考えた

が、もし子どもを産んだとして、
確実に私の乳がんは進行する

それでなくても5年放置したがん

おそらく余命は、
すぐそこまで迫るだろう

そうなると、彼は? 子どもは?

残された彼が、仕事をしながら
ひとりで幼い子どもを抱えて
生活している姿を想像すると
たまらなかった

「彼と子どもに、
 そんな思いをさせてもいいのだろうか」

と、思った

彼にとって最善なこと...

まだ見ぬ子どもの未来...

私の希望...

手術までの短い間、
たくさんたくさん考えた時間だった

女性に生まれてきて、
当たり前だと思っていた“出産”

それは、
“温かな家庭をつくる”という、
幼い女の子が抱く夢でもあった

私は、まだ見ぬ子どもの命より、
自分の命を選んだ

そのことを卑下したこともあった

卑怯だとも思った

その気持ちを強くさせたのは、
自分の命を顧みず、
出産をした女性のドキュメンタリーを見たからだ

そのことを医療関係者の方に話したことがある

「ああいうのは、少なからず美化されている。
 今ある命の方が大切だよ」

単なる慰めかもしれない

が、
そう言ってくれた言葉だけが救いだった

母にも孫を抱かせてあげられなかった

「なんて親不孝な娘だろう」

と、思った

甲状腺がんの再発で
7年前に亡くなった母

「姪(私の妹の子)が、
 小学校にあがるまでは生きたい」

そう言っていたが、叶わなかった

が、病床で、
3歳の姪を可愛がっている母の笑顔を見たとき、

「ああ、よかった...」

と思った

あの母の笑顔を
私はきっとずっと忘れない

自分が乳がんになり、
まさか子どもが産めなくなるなんて
思ってもいなかった

婦人科の病気ではなく、“乳がん”でなんて

きっと子どもは、
“何ものにも代えがたい宝”なのだと思う

「子どものためなら...」という言葉もよく聞く

が、今は、

「子どもがいなくてよかった」

そう思うしかない

「自分のことだけ考えて生きればいいんだから」

と――

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Source: りかこの乳がん体験記

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