神の詩 第五章第二節 8

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神の詩 第五章第二節 8

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スリー・クリシュナ
「行動の放棄も行動の実践も、どちらも至福(解脱)に至る。しかし、この両者の内、行動の実践の方が行動の放棄よりも優れている。(二)」

続きです。

瞑想によってすべての想念を手離しながらも、
活動を行うこと。

瞑想を始めたころは、
瞑想と日常の行動を分離してしまっています。

聖なる時間と俗的な時間を切り替えてしまうのです。

時間をかけて、
念を入れて、
最初の二段階の実践を積み重ねていくうちに、
この分離の壁は消えていきます。

もともとはすべてが神聖で、
すべてが無限なもの。

私たちも無限性に戻るのであれば、
まずはすべてを分かち合う心が大切です。

人の感覚器官は、
その無限に神聖な領域に対しても、
壁を作り、
限定してしまう傾向があります。

感覚器官は、
自分の顕在意識が理解できる範囲に
すべてを収めようとするのです。

見えない世界のものを見えるもので考え、
言葉に表現できない領域のものを言葉で表現しようとするのです。

大空を見るためにも、
窓を設置して窓から空を見上げるようなものです。

いくら大空が無限に広がっていても、
人が認識するのは、
窓から見える範囲の空だけに限定されます。

人の顕在意識というのは、
いとも簡単に
その状況に慣れてしまいます。

窓から見える範囲の空だけが、
大空だと信じるようになってしまいます。

行動の放棄の実践では、
この窓枠が取り外されていきます。

その時に、
意識の拡がり、
言葉に表現できない深い感覚、
大きな至福を感じるはずです。

一日の仕事量が多すぎて瞑想が出来ないほど疲労することがあります。

このような場合には、
聖典の一節を思い起こしたり、
マントラを唱えたり、
神の名前を唱えてから
眠りにつくことをお勧めします。

疲れすぎて、
フラフラしたまま瞑想の真似をするよりも、
その方が良い結果を生み出します。

人は光のエネルギーで出来ています。

すべての存在は光のエネルギーで出来ています。

それにも関わらず、
なぜか人は暗闇を創り出したがります。

行動の放棄の実践は、
光を思い出していく作業となりますから、
暗闇は消えていきます。

そして、
神意識に到達した究極の状態に到達すること。

ここで行動の放棄が完成します。

次は

「憎しみも望みもない者は、確かな行者と知るべきである。アルジュナよ、相対を離れた者は容易に束縛から解放される。(三)」

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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