令和の幕開けを前に

内科医

  4月になり,神戸は桜が満開です.クリニック横の生田川公園は花見の宴で大賑わいですし,自宅近くの神社の境内の夜桜も見 事でした.毎年ながら,見事に咲き誇り,そしてあっという間に散ってゆくさまを見ると,やはり桜ほど見事に日本人の美意識や精神性を表しているものはないと感じさせられます.

  さて先日の午後,医師会の会合の帰りに地下鉄に乗ろうとしたら,幼稚園か保育園の遠足でしょうか,ホームは沢山の小さな子供達で溢れかえっていました.引率する保育士さんたちも大変そうでしたが,カラフルな服装,元気いっぱいの可愛い声に,思わず気持ちが和みました.

  少子高齢化が急激な勢いで進む我が国は,出産や子育ての環境整備に様々な施策が打ち出されてはいますが,いまだ出生率の回復には程遠い状態です.

  しかし,最近の風潮を見るに,国の少子化対策の賛否を問う以前に,残念ながら我々大人たちの側にも大いに恥ずべきこと,猛省すべきことがあるようです.

  たとえば,幼稚園を建設しようとすると,園児の声がうるさいからといった理由で開園を断念せざるを得ないようなケースが増えているとのこと.
  また,小学校の運動会で,子供達にとってかけがえのない楽しい場を盛り上げてくれるはずの音楽がうるさいと近隣の住民からクレームがきたため,全く音楽なしで開催せざるを得なかったり,驚くべきことに,定時のチャイムを鳴らすことさえ遠慮せざるを得なくなった学校まであるとのことです.
   さきごろ,東京港区青山に,区が児童相談所の建設を計画したところ,ブランドイメージが落ちるという信じがたい理由で少なからぬ住民たちから反対運動が起こり,建設が暗礁に乗り上げていると言うニュースもありました.

  これらが本当であれば,まさに異常としか言いようがなく,開いた口が塞がらない,馬鹿馬鹿しくて論評する気にもならないというのはこのことです.

  私はこのように厚顔無恥なクレームを平気で言える人たちに言いたい,あなた方は生まれた時から物静かな大人だったとでもいうのか?自分たちとて純粋無垢な子供だったのではないのか?大人たちに暖かい眼差しで見守られながら育ったからこそ今があるのではないか?と.

  児童相談所の件など,まさにエゴイズム以外の何者でもありません.あんた方が守ろうとしているブランドとやらは,そんな冷酷な人間ばかりが住む土地なのか?むしろそういった恵まれない子供達を迎えてあげる度量こそがブランド価値を上げるのではないのか?ということです.

  いったいこの国は,どうしてこんなにまで他人に対する寛容さを失ってしまったのか?子供たちの元気な声も聞こえない,年寄りばかりの活力のない国にしたいのか?
  トランプ大統領の振る舞いが自国第一主義,自分ファーストなどと批判されていますが,規模こそ違えど彼らの身勝手さとはこれとなんら大差がないではないかとさえ思います.

  今や我が国は出生率が1.5人を割り込み,国力を支えるべき生産人口がどんどん縮小しています.子供達の健やかな成長,若い人たちの活力なくして,この国にどうして明るい未来が描けるでしょうか?

  私が子供だった高度成長期の頃,決して今ほど豊かではありませんでしたが,そこら中に子供たちの声が溢れかえっていて,大人たちはそれを暖かく見守っていました.
  一昨年フィリピンに住む娘のところを訪れた時に感じたのは,当時の日本にあった活気のようなものでした.その理由を考えるに,やはり何よりも本当に子供達を含めて若い人たちが多いことも大きな理由だと確信しました.

  いよいよ来月,我が国は元号が「令和」に改まり,新しい時代を迎えます.この元号は「人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです.
  私たち日本人は,国民誰もが心から幸せを感じられる国になるよう,狭隘な心を捨てて寛容の精神を取り戻せるかどうか,いま一度胸に手をあてて考える時期にきているのではないかと考えます.

さくら
↑神戸芸術センタービル正面の桜


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Source: Dr.OHKADO’s Blog

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