『思い出』の中にいた母の文字。

その他

1月1日

実家に寄った

母が亡くなって今年で8年

今はすっかり盆と正月くらいしか
実家には行かなくなってしまった

私が実家を出たのは、
今からちょうど12年前

“実家を出た”というより、
“追い出された”と言った方が正しい

そのため、
必要最低限の荷物しか持って出なかった

おととしあたりだろうか

突然、子どもの頃のアルバムが
無性に見たくなった

思い出したくもない記憶が多い幼少期

なのに、「見たい」と思ったのは
母が死んだからだろうか...

そんな家庭環境(何度か既出)だったわりには、
長女だった私の写真はかなり多い

写真が少ない妹は、
昔、ひがんでいたことがあったっけ...

「実家に帰ったとき、
 アルバムを持ってこよう」

そう思いながら、1年以上が過ぎていた

そして先日の1月1日

実家で父との会話中、
突然、昔のアルムのことを思い出す

「お前のアルバム、たくさん残ってるぞ」

そう言いながら、
父が母の洋服ダンスから数冊出してきた

中を開くと、
母の腕に抱かれた、
生まれたばかりの私がいる

「ああ、
 赤ちゃんのときからのアルバムだ...」

昔、見たことがある写真...

長い間、消し去られていた記憶が
蘇ってくる――

『確か、私が使っていた部屋にも
 アルバムがあったはず...』

急いで2階へ上がる

押し入れを開けると、
数冊、見覚えのあるアルバムが出てきた

「そうそう、これ。懐かしい...」

その中から、小さな手帳が出てきた

小学校を卒業するとき、
クラスメイト全員に書いてもらった、
寄せ書き帳だ

FullSizeRender
    私が描いた、下手くそな絵

当時、流行っていた寄せ書き帳

クラスの女子は、
ほとんどやっていたっけ

1ページ、1ページめくってみる

クラスのみんなの
名前や住所(今では考えられない)、
そして一言が書かれている

数十年経っていても、
懐かしい名前とともに
顔が浮かんでくるから不思議だ

一番最後のページには、
担任の先生の一言

小中高、これまで習った、
各科目の先生すべての中で
一番好きだった小学5~6年生のときの担任

優しくて、生徒一人一人のことを
しっかり見てくれる先生だった

もちろん、贔屓などしない

もう一度会いたい先生だ

そして、最初のページを開いて驚いた

母の文字だ

2023/01/03 寄せ書き帳 ②

  卆業おめでとう

  中学に入っても耐えず
  努力を忘れずに元張って下さい

  りかこさんへ

     母上より

「そっか、
 私、“書いて”って頼んだんだ...」

すっかり忘れ去られていた記憶

「そう、“書いて”って頼んだ...」

懐かしい母の字

まぁ、
“頑張る”という文字は間違っているが...

  けっこう誤字が多い人だった

ここに、ずっと母はいる――

  それにしても、
  この顔の絵は誰だろう...

  私?

  眉毛もないし、
  首に影

  ちょっと怖いかも...

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Source: りかこの乳がん体験記

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