神の詩 第六章十二節 3

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神の詩 第六章十二節

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「ここに坐り、
心と感覚の働きを制御し、
心を一点に集中してヨーガを実践し、
自己を浄化しなければならない。(12)」

続きです。

◇歩く瞑想

座って行う瞑想が定着してきたら、
歩くときに瞑想する「歩行瞑想」を行ってみましょう。

歩行瞑想は
古代からあるものの、
広く知られるようになったのは、
いくつか残されている釈迦大師の指導による歩行瞑想の記録からです。

禅宗などでは、
経行(きんひん、きょうぎょう)
とも呼ばれています。

次の話は、
釈迦大師が死の淵にいた時の話です。

毒のある食事によって急速に衰弱し、
旅先で療養中の釈迦大師の元に、
スバッダという修行者が現れました。

スバッダは、
大師にいくつか重要ではない質問をしました。

師は、
「今はそのような質問に答える時期ではない」
と言い、
もっと大切な説法を行いました。

スバッダは師の教えに感動し、
一礼すると説法の中で指導された歩く瞑想を行いました。
そして
ひたすら歩行瞑想を行い続けた結果、
スバッダは
ついにすべての煩悩を帰滅させた境地に達することが出来たのです。

このスバッダは、
釈迦大師が存命中に光明を得た最後の弟子となりました。

余談になりますが、
歩行瞑想の逸話を
もう一つご紹介しておきましょう。

釈迦大師は、
御自身の過去世で若い頃の歩行瞑想の逸話を話されたことがありました。

菩薩は、
山奥で修業していましたが、
人里に托鉢に下りてきたところで、
ある隊商に出会い、
同行することになりました。
ある日、
一行は森の中で野営することになり、
菩薩は
その野営地の外側で歩行瞑想を始めました。

真夜中を過ぎた頃、
大勢の盗賊たちが現れました。

隊商たちの荷物をすべて奪うためにやって来たのです。

ところが、
皆が寝静まっているはずが、
菩薩が歩行瞑想を行っています。
盗賊たちは、
菩薩が警備中の見回りだと思い、
見回りが終わってから襲撃することにしました。

なぜか不思議な力が働き、
襲撃出来なかったのです。

結局、
菩薩は
朝まで歩行瞑想をし続けたので、
夜が明けてしまい、
盗賊たちは襲撃のチャンスを失いました。

盗賊たちは、
手にしていた石や棍棒を投げ捨てて、
「隊商の者たちよ、
この僧が警備していなかったら、
お前たちのすべての荷物は略奪されていたはずだ。
僧に感謝しろ!」
と言い捨てて、
去っていきました。

翌朝、
起きてきた隊商の人々は、
盗賊たちが投げ捨てていった大量の石や棍棒などの武器を見て、
震えあがりました。

隊商の長は、
菩薩に尋ねました。
「師よ、あなたは大勢の盗賊たちをご覧になったのですか?」

師は答えます。
「もちろん見て、知っていました」。

隊商の長は、さらに尋ねます。
「師よ、なぜ怖くなかったのでしょうか?」

師は答えます。
「私には失うべき物質的財産は何もありません。だから怖れることも、怯える必要も無いのです。いつどこにいてもそうです」。

その後に、
隊商の人々は、
釈迦大師の弟子たちとして
転生してきたのだそうです。

明日は
歩く瞑想のやり方です。

続きます。

精解 神の詩 聖典バガヴァッド・ギーター 7
森井啓二
きれい・ねっと
2023-05-11


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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