精解 神の詩 第六章四十節 3

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神の詩 第六章四十節 1

スリー・バガヴァーンは言った。

「プリターの子よ、真理を求めて、善行を積んだ人々は、この世でも来世でも、破滅することはない。友よ、善を行う者が悲惨な所(地獄)に落ちない。(40)」

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続きです。

短い一生の間に、
ヨーガを完成することが出来なくても、
その成果は
次の生に確実に引き継がれます。

今まで積み重ねてきた善のカルマが消えてしまうこともなく、
今まで築いてきたヨーガの進歩が崩壊することもありません。

誰であれ、
善行を積んできた人たちは、
その印象が確実に記録されていて、
ネガティブに作用することは
宇宙の摂理からみてありえないことです。

人は亡くなると、
生きているうちに助けた人たちの感謝の意識エネルギーの手助けによって、
天国の高みへと昇っていく
とも言われています。

すなわち、
人生の中で助けた人や愛を与えた人が多ければ多いほど、
自分の中の愛が強化され
心は澄み
天国ではより高い場所まで到達できるのです。

人は皆、霊的な道の上にいる

ここでまた、
クリシュナはアルジュナのことを、
「tata」
と呼んでいます。

これは父と子のような親密な関係を持つ間柄での愛情がこもった呼び方です。
この呼び方の中に、
どんな時にでも私が見守っている
という気持ちが込められています。

でも、
そのことを直接的な表現では言いません。
甘えを起こさせないためです。

この関係性に似たような話が、
釈迦大師にもありました。
法華経の如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六の偈文「自我偈(じがげ)」の後半部
わかりやすく要約すると
次のような意味になります。

「私は世の父であり、人々を苦しみから救うために活動している。
でも肉体として人々の前に顕現することはない。
なぜなら、私にいつでも会えると知ったなら、あなた方は甘えて他力本願になってしまうからだ。
私はいつもあなた方のことを、仏の道を歩み、仏の身となれることを願いながら見守っている」。

次は、

ブラフマンへの道の途上で、
性的誘惑に勝てずにヨーガの修行を一度放棄したことのある偉大な聖仙ヴィシュヴァーミトラの話をしましょう。

ヴィシュヴァーミトラ大師は、
究極の実在としてのブラフマンを実現した、
聖者の中でも最高の境地にあるブラフマリシになった聖者です。

ヴィシュヴァーミトラは、
カニヤクブジャ王国の王ガーディの息子として生まれました。
身分は、王族・武人階級であるクシャトリヤで、
将来は国王の地位が約束されていました。

ある日、
ヴィシュヴァーミトラは
聖仙ヴァシシュタと戦うことになりましたが敗北し、
武人の無力さを嘆きました。

そして、
自らが聖仙となることを固く決意し、
王国を捨てて修行の旅に出ました。

ヴィシュヴァーミトラは
日々、
瞑想を極めていきました。

それを天界から見ていたインドラ神は、
自分の地位を脅かす存在になることを怖れて、
ヴィシュヴァーミトラの修行を阻止しようと企てます。
インドラ神は、
天界の美女メーナカーを彼の元へ送り、
性的に誘惑させました。

続きます。

精解 神の詩 聖典バガヴァッド・ギーター 5
森井 啓二
きれい・ねっと
2022-09-09


君が代から神が代へ 上巻
森井 啓二
きれい・ねっと
2018-12-18


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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