共生社会の解像度をあげてみた

共生社会の解像度をあげてみる
共生社会ってなんだ?共に生きる社会。もっともらしいこと言ってる、スッキリとした表現だ。鎌倉市も積極的に広めようとしているこの概念、肌感覚として心地よい。でも実際、なんのことなのか。。。老若男女、健常者も障害者も、マジョリティもマイノリティも、みんな一緒に協力して生きていこうぜっていうやつかな。なんとなく勝手に昭和的なや...

 

共生社会ってなんだ?
みなさんはどう思うだろうか。
 
共に生きる社会。もっともらしいこと言ってる、スッキリとした表現だ。
鎌倉市も積極的に広めようとしているこの概念、肌感覚として心地よい。
 
でも実際、なんのことなのか。。。
 
老若男女、健常者も障害者も、マジョリティもマイノリティも、みんな一緒に協力して生きていこうぜっていうやつかな。
 
なんとなく勝手に昭和的なやつを想像している。昭和的なあれだ。
日本の高度成長期。大量生産型の労働システム。皆が一定水準の労働能力を求められそこに向けて教育されていた時代。地域では一家庭という単位を越えて地域のみんなが「ごちゃまぜ」で助け合っていた古き良き時代。
 
現代はどうか。完全に逆を行っている。
 
年功序列・終身雇用の幻想は過去のものとなり、個が生きる時代に移り変わった。
みんなでなにかを成し遂げるのではなく、それ以前に個がそれぞれ力を持ち、輝きを増し、生かしていくことで幸せになるご時世。
スマホに象徴されるこの平成後期から令和のタイムラインは、あえて共生というキャッチーな言葉を使わないと意識されなくなりつつある。
昭和のバブルと共に消えたのは株の価値だけでなく、この共生社会なんじゃないかな。
 
みんなからスマホをとりあげたら、次第に共生社会ってのは復活するんじゃないかなと思う。自然にね。でもそれが無理ってわかってるから、あえて共生社会という旗を掲げ、無理矢理にでもみんなを引っ張っていかないといけなくなってる。
共生社会を強制しないとあかんってやつ。
 
なんでそんな大変なことをしなければならないのか。
 
それは超高齢社会へ数年前に突入し、来るべき人口減少時代に備えるためだ。
個を生かし、個で生きる時代とはいえ、ひとりでは安泰な一生を駆け抜けることができない世の中になりつつあるから。
良いレッテルも悪いレッテルも剥がして、みんなが助け、そして助けられ、誰かが誰かに寄りかかって暮らす社会ってのが、結局は心地よいんじゃないかな。
それが、僕の思う共生社会だ。
 

Source: 鎌倉の内科・リウマチ科・心療内科・訪問診療・訪問看護   アカラクリニック院長blog

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