≪私の記録 315≫ がん患者、働きに出る ⑤ ~病気のこと、知れ渡る Ⅰ~

    2010年12月10日(金)

せっかく今、生きているのに...

毎日毎日、
こんな嫌な思いをして生きたくない

楽しく充実した日々を
生きたいのに...

    2010年12月13日(月)

なんか、やっぱり職場の人たち、
私の病気のこと知っているような気がする

いや、たぶん、
“乳がん”ということは知らないだろう

ただ、“重いものを持てない”ということは、
料理長はみんなに喋ったような気がする

...というのも――

おとついの11日土曜日、
かなりの残業となった

午後2時半までのはずの仕事が、
終わってみれば5時

会社の規定では、
休憩・食事なし

が、さすがにここまで遅くなると、
料理長の計らいで賄いを出してくれる

もちろん朝から休憩なしで
午後5時まで働き通し

しかも、夕方5時に
お昼ご飯を食べさせてもらっても...

賄いをみんなで食べているとき、
このあとの仕事の振り分けの話になった

私が、

「まだ(小上がりの)セッティング、
 終わってないです」

と云うと、板前の男性が、

「壁(客間の仕切り)も
 片づけなきゃならないから
 オレするよ」

そう云った言葉に、違和感を覚えた

なぜなら、これまで、
ホールの仕事は
すべて女性がやっていたから

『もしかしたら料理長、
 板前さんだけに私の病気のこと
 チラッと話したのかもしれないし。
 それとも、もうとっくに
 勤務時間も過ぎているから、
 たまたま板前さんが“オレがやる”って
 云っただけかもしれない』

料理長に乳がんのことを告白し、
「この勤務状態だと身体がもたない」と
退職を告げた翌日の日曜日は
このお店の定休日

その翌日の月曜は私の個人休

火曜日、出勤すると、
なんだかみんなの態度がよそよそしい

板前さんは前から優しい人だったけど、
もっと優しかった

私より若いパートの2人の女性も、
なんとなく雰囲気が違う

私とどう接していいのか、
それとも接しないほうがいいのか...

そんな感じだった

そして60代のパートの主は、
以前から嫌な感じだったけど、
さらに輪をかけて仏頂面になった

無視もする

料理長が乳がんのことを
みんなに喋ったのは明らかだった

たぶんあの料理長のことだから、

「りかちゃん、重いものが持てないので、
 みんなで手伝ってあげて」

そう云ったに違いない

60代パートの主にしてみれば、

「なんでそんな人雇ったの?」
「なんでそんな人と
 仕事しなきゃならないの?」
「一人前の仕事もできないのに、
 同じ時給なの?」

きっとそう思って、
あんな態度になったのだろう

それでなくても、私は最初から
気に入られていなかったのだから

そして今朝、
大きなやかんで作ったお茶をポットに注ぐとき、
オバちゃん(60代のパートの主)が、

「あ...、重たいの大丈夫?」

とぶっきらぼうに云ったのが聞こえた

『え...? やっぱり病気のこと知ってる?』

「みんなには
 病気のことは話さないでください」

って、料理長に念を押したのに!!

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Source: りかこの乳がん体験記

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