“死”を意識した日――。

初めて“死”というものと直面をしたのは、
20代半ば

父方の祖父が亡くなったときだった

「もう歳だし、死んで当たり前」

そう思っていたので、
特に衝撃もなかった

それより十年近く入院をしていたので、
母にとっては、

「やっと...」

という思いだったようだ

...というのも、入院直後から、

「そろそろ...」
「この数日...」

と、
何度も医師から伝えられていたのだ

「今は点滴でいくらでも生きられる」

母がそう言っていたのを覚えている

最期は、
虫の息でもなかなか逝かない祖父に、
さすがに担当の医師も、

「そろそろ外しますね」

と、両親に伝え、
点滴などを外したという

そんなじいちゃんは、
すでに骨と皮だけ

とても直視できる状態ではなかった

初めて目にした人間の死だっただけに、

「ひとが死ぬということは、
 こういうことなんだ...」

と、衝撃を受けた

その数年後に亡くなったばあちゃん
(じいちゃんの奥さん)も、
ほぼ骨と皮だけだった

それからさらに数年後に亡くなった、
母方のばあちゃんは、
ふっくらとしたままの亡き骸

可愛い顔をしていた

「こういう死に方もあるんだ」

と、少し安堵

「私はどういう死に方をするのだろう」――

それから十数年後、乳がんがわかる

たぶん、「がん」と言われて
死を意識しない人はいないと思う

私も、まず、

「いつまで生きられるのだろう」

と、考えた

よく、

「親より先に死ぬのは親不孝」

なんて言われるけれど、

「私は最後まで親不孝なんだな...」

と思った

「いや、私の場合、
 最高の親孝行なのかもしれない」――

あの日から...

がんを告知されたあのときから、
いつも傍らには“死”があった

が、それは、
生きる活力になり、
残された時間を
有意義に過ごすための希望にもなった

目標を持つことの大切さも知った

目的に向かって進んでいくことの
充実感も味わった

乳がんになる前の
ダラダラと生きていた自分に
活を入れられた感覚だった

楽しく生きることを学び、
感謝の気持ちを学び、

他人の痛みに気づき、
たくさんの人に
支えれれていることに気づかされた

がんになんてなりたくはないけれど、
たぶん、きっと、
がんは、
私の人生を豊かにしてくれたもの

人間、

自分が痛い思いをしなければ...

哀しい思いをしなければ...

気づけないことがある

それもなんだか悲しいけれど、
そう学んだことは
きっと無駄ではないはずだ――

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Source: りかこの乳がん体験記

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