【終戦記念日に寄せて】戦争により亡くなった御霊からのメッセージ

皆様

本日は79回目となる終戦記念日です。


世の中が年々様変わりしていくなかでも、わたくしたち日本人にとって基点とも言える大切な日に、今世生きていることへの感謝と、今後の世界の平和を祈念いたします。

Rinokia

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(本日は終戦記念日にちなみ、かつての終戦間近に尊い命を失った御霊からのメッセージをお伝えいたします。)

「戦乱のさなか、それでもどうにかわたくしたちの“日常”は続きました。

無論、生きていくことはこれまでに無いほどに必死で、誰の目からも、戦局が(日本劣勢へと)傾いていくのは明らかでした。

しかしながら、それすらも口にする(言葉にする)ことは憚(はばか)られ、皆黙々と各々の立場に従事しておりました。

戦争という黒く大きなうねりは、老若男女問わず凄まじい勢いで、生きとし生けるものを次々と飲み込んでまりました。

今や70有余年を経て、すでにその年月は、わたくしたちのように、傷つき血にまみれた肉体を離れてからの期間を示しますが、戦時下で体験した恐ろしさは、幾年経ったとしてもけして消え去ることはありません。

当時体験した恐ろしさのなかで、一体何がもっとも恐ろしいのか、あなたがたには分かりますか?

それは、身の上にもたらされる危険のなかで、あるいは大切な人々(家族)を突如失ったなかで、これからどうしていったらよいのか、右を見ても左を見ても“途方に暮れる”ほどの“絶望”です。

今の世に生きるあなたがたが思う“絶望”というのとは、おそらくはまったくの別物です。

戦争を実際に経験した人間でしか、戦争の恐ろしさは分かり得ません。

万策尽き、ついには望みが何もかも断たれることほど恐ろしいものはありません。

生きることの術(すべ)を無くし、生きていく意味合いさえ失われることは、生きている日々に“黒幕を降ろされた”ことと等しい。

生きていたい、ただそれだけなのに、大切な人と共に過ごしたい、ただそれだけなのに、戦争という得体のしれない脅威によって、無惨にも、この一縷(いちる)の望みさえ断たれてしまいました。

今や、わたくしたちが願うことはただ一つ、後世の人々に、生きる望みをけして失わないでほしい、ということです。

一見望みが無いようでも、それでも諦めてはなりません。

そしてまた、望みが無ければ、望みを持てるような世界を、時間がかかっても皆が共に作っていかねばなりません。

この世に生きるとはなんとかけがえのないことか、命の尊さを、すでに命を失い時が経てば経つほどに、益々わたくしたちは感じております。

人生に迷い尽きずとも、そして幾多の困難に遭いても、それでも、“命は生きていたい”のです。

この切なる想いを、感じていただけますか?

もし少しでも、あなたがたが感じていただけるのでしたら、わたくしたちは嬉しい。

何よりも、あなたがたの命そのものが、わたくしたちがあの時、命を賭して後世へと繋いだ“望み”であり、あなたがたの人生こそ、未来へと続く“人類の希望”なのですから。」

Source: 神々からのメッセージ

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