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「精解 神の詩」シリーズ第八巻
これは、バガヴァッド・ギーター(サンスクリット語で神の詩)第七章の解説です。
第6章の最後の節には、
「すべてのヨーガ行者の中で、大いなる信念をもって私に帰依し、献愛奉仕の心で私を礼拝する者は、内なる真我が最も親密に私と結ばれる。この者を私は最も偉大なヨーガ行者とみなす。(47)」
と記されています。
「すべてのヨーガ行者の中で、大いなる信念をもって私に帰依し、献愛奉仕の心で私を礼拝する者は、内なる真我が最も親密に私と結ばれる。この者を私は最も偉大なヨーガ行者とみなす。(47)」
と記されています。
ここでは、
人がクリシュナ意識(神意識)に全意識を集中させることで、
絶対真理に到達することが出来る
と明言しています。
人がクリシュナ意識(神意識)に全意識を集中させることで、
絶対真理に到達することが出来る
と明言しています。
クリシュナ意識(神意識)とは、
創造主であり、
そして
一人ひとりのハートの中心に宿っている真我でもあります。
創造主であり、
そして
一人ひとりのハートの中心に宿っている真我でもあります。
創造主だけではなく、
自分自身のハートの真我でもあるということが
理解していくための
大切なポイントになります。
自分自身のハートの真我でもあるということが
理解していくための
大切なポイントになります。
地上での狭い見識から創造主だけを思い描くと、
クリシュナ意識を
どこか遠くの至高の存在と勘違いしてしまいます。
クリシュナ意識を
どこか遠くの至高の存在と勘違いしてしまいます。
クリシュナは、
どこか遠くの至高の存在ではなく、
自分自身のハートの中心に、
最も身近にいる存在でもあるのです。
大きな蝋燭(ルビ:ろうそく)の火から分け与えられた小さな蝋燭の火は、
同じ性質を持つ火であるように、
神と真我も同様の性質を持っています。
同じ性質を持つ火であるように、
神と真我も同様の性質を持っています。
この第7章から創造主の説明が始まります。
本章が、
第6章、すなわち「瞑想の章」の後に続くことに注目してください。
第6章、すなわち「瞑想の章」の後に続くことに注目してください。
瞑想の本質は、
神への徹底した集中にあります。
神への徹底した集中にあります。
すべての人には、
高次の現象を認識する能力が備わっていますが、
そのほとんどは眠らせて機能していない状態になっています。
高次の現象を認識する能力が備わっていますが、
そのほとんどは眠らせて機能していない状態になっています。
高次元に繋がる入り口は、
あらゆる所に存在しています。
あらゆる所に存在しています。
ただ、
地上のほとんどの人は、
それを認識することが出来ないままになっています。
人が神に近かったサティヤ・ユガの時代には
容易に認識できたことが、
物質という表面的な部分だけが発達した今の時代には
とても困難になっています。
容易に認識できたことが、
物質という表面的な部分だけが発達した今の時代には
とても困難になっています。
そのため、
神意識への理解を深めるためには、
しっかりとした瞑想が必要不可欠になのです。
瞑想、神への徹底した心の集中は、
高次元へ向かう本質を強化し、
人が本来持つ純粋意識を成熟させていきます。
高次元へ向かう本質を強化し、
人が本来持つ純粋意識を成熟させていきます。
それが神への知覚へと繋がっていくために、
クリシュナは神について語る前に、
まず瞑想について語ったのです。
クリシュナは神について語る前に、
まず瞑想について語ったのです。
Source: ひかたま(光の魂たち)
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