「知事やで」で、姫路ゆかたまつりは“出禁” の知事

まぁコイツの育った省庁に問題があるという事です。

自由記述の回答では、「俺は知事だぞ」発言のほか、新たなパワハラの指摘が次々と。 

県職員による回答では「職員が渡した顔のテカリ防止用のあぶらとり紙を使用後、ゴミ箱に捨てるのではなく、そのまま床に捨てて職員に拾わせている」「姫路ゆかたまつりの“出禁”は有名。
浴衣へ着替える場所が気に入らず、鏡もなかったので関係者に激高。老舗呉服店を閉めて、専用の着替え場所を確保させた」「着ぐるみを登場させての啓発活動では、子供が知事より着ぐるみに群がっており
(知事が)不機嫌になった
と聞いた」などの内容も。

2002年(平成14年)春、東京大学経済学部を卒業して総務省へ入省
同年10月、三重県に出向。
2003年(平成15年)9月、同省に戻り大臣官房総務課、
2005年(平成17年)4月、同自治財政局公営企業課地域企業経営企画室、
2006年(平成18年)4月、内閣官房副長官補付(内政)。

2008年(平成20年)4月、新潟県佐渡市に出向し、企画財政部長を担当。

当時について、若手キャリアとして初めて赴任した地方都市の佐渡で「殿様扱いされることを覚え、それがターニングポイントになった」と斎藤の知人が証言している。
斎藤はこのためか佐渡に思い入れが深く、2023年9月には自らの打診で新潟県と兵庫県の間に連携会議を開き、佐渡市に凱旋を果たす。
この際、佐渡市長室には「おかえりなさい、まっとっちゃった!斎藤元彦兵庫県知事!」と大書きされた特製横断幕が掲げられた。
一方で、ある市議は「斎藤氏はエリート意識が強く野心家でとっつきにくい」と証言している。
この際、斎藤は「これからは、地方都市は株式会社のように頑張れ」だとか「費用対効果でモノを見ろ」などと主張した。

2年目の2009年12月には、共産党市議より「佐渡市の経済課題は、経済対策戦略本部で取り組むべきでは?」という質問を受け、斎藤は戦略本部を「お開きにしたという形にした」と答弁し、「緊張感がないぞ!」などとヤジられ追及を受けた。

ある市議はこの姿勢を、田舎の小さな市議会を軽んじていると受け止めた。
実務面では部長という高い決定権を持つ地位にあったこともあり、職員の間には「彼の機嫌を損ねてはいけない」という空気が当然のようにあり、職場には「斎藤さんの機嫌をうかがう係」がいたほどだという

この性格は直ることは無いですね。

実は、松本氏は斎藤元彦氏を以前から取材していたという。ではどんな人物だったのか。
 
「知事になる前から取材していましたが、ああいうキャラクターの片鱗も見せなかった。首長、議員、経営者、記者……軒並み評判がよかった。彼の人物像は兵庫県知事就任の前と後で、明らかな断絶があります 」

斎藤知事が「ああなってしまった」ワケ

 なんと、今の姿は想像できないという。ではなぜああなってしまったのか。どう考えますか?
 
彼の人生の目標は知事になること自体ではなかったか? というのが現時点での仮説です。だから自分は最大限に尊重されるべきだし、何でも言い分が通ると思っているのではないかと」
 
 斎藤氏の「元彦」という名前は祖父が付けた。金井元彦・元兵庫県知事から取ったという。知事のイスに座ること自体が目標となった人物は目的を達成した瞬間に豹変したという見立てである。

取り敢えずこの辺で。
※2つのランキングクリック宜しく。


癒し・ヒーリングランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Source: 身体軸ラボ シーズン2

コメント

タイトルとURLをコピーしました