“陽子線治療”で思い出す、母の“生”への思い。

その他

きのうのブログ、『陽子線治療』

“陽子線治療”と聞くと、
実は真っ先に母のことを思い出すのだ

10年前に亡くなった母は
甲状腺がんだった

私の乳がんがわかる2週間ほど前、
告知された

そんな母は、
手術から3年後、局所再発で再手術

それからさらに3年後には肺転移

亡くなる少し前には
小脳への転移も認められた

甲状腺摘出手術のあとに受けた、
内照射治療(RI治療)終了後の検査で、

「身体の中にがんは見当たりません」

そう言われたにもかかわらず
転移を繰り返した

そもそも母のがんは
“転移性”と告げられていた

通常、
複数回受けなければならない内照射(RI治療)も
母は1回で「がんがなくなった」と言われた

肺転移がわかってから、母も私も、

「あと1~2回受けていたら、
 こんなことにはならなかったのではないか」

そんな疑問を抱いたこともある

甲状腺がんには、
「抗がん剤(化学療法)は使わない」
と言われていた

  現在は
  使える抗がん剤があるようだが

そのため、
転移をしても治療法がなかった

ただ黙って
がんが身体の中に広がっていくのを
見ているだけ...

ただ、そのとき(死)を待つだけ...

そんな無力感に苛まれる日々だった

母は、「生きたい」と願った

最後まで「がんを治す」

そう力強く語っていた

  ☆実家を追い出されたあと、
   母から送られてきた手紙には
   そんな思いが綴られていた
      ⇩

私が実家を追い出されたあとのこと

母は、ある講演会に
出向いたことがあるらしい

それが、
『陽子線治療』の講演だった

陽子線治療が“先進医療”として
耳にする機会が増えた頃だ

まさに、これからのがん治療の
一助となるであろう治療

もちろん、まだ保険適用外の
高額な治療だった

  ☆ちなみに、きのうのブログ
      ⇩

医療機関の講演は、
最後に聴講者から質問を受けることが多い

そのとき、母は手を上げ質問をしたそうだ

内容はもちろん、自身の甲状腺がんのこと

肺転移をしたことや、
治療法がないことも話したようだ

講義をした医師から返ってきた答えは、

「甲状腺がんは適用ではない」

という言葉

母の僅かな望みは完全に断たれた

あとになって母からその話を聞いたとき、

「まぁ、そうだろうな(適用外)...」

と思った

「400万円もかかる治療(当時)
 だということは、
 母は知らないのだろうな」

それにしても、

「よくひとりで出向いたな。
 よく質問したな、
 大勢のひともいただろうに...」

と、なりふり構わない、
母の必死さが伝わってきた

会場で、
「転移し、治療法がない」と話し、
「適用ではない」と答えられたときの
母の心情をおもんぱかると
なんとも胸が痛い...

甲状腺がんは、
“化学療法も放射線治療も
 標準治療のメインストリームではない”

  現在は使用することもある

それはまさに、私の乳がん――

“化学療法も放射線治療も効かない、
 稀ながん細胞”と符合するのだ

  まぁ、たまたまだろうけど

これからは、新たながん治療が
どんどん出てくるのだろう

「がん治療は進んでいる。
 最後まで諦めちゃ駄目だよ」

そう言っていた看護師さんの言葉が
真実味を帯びる

それでも歯痒く感じることが多い

「まだ完治には至らないのか」

と――

人類のがんとの闘いに
終わりは来るのだろうか...

  今夜、月光環が観られた

2025/03/11 月光環

  月のまわりにかかる環だ

  今日、あすと飛来が予想されている、
  PM2.5のせいだろうか

  鼻がグスグスするのも
  そのせいか...

  ちなみに満月は3日後です

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こちら

 ★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から

 
Source: りかこの乳がん体験記

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