“がん”という会話 ~第1話~

最近、AIを使うことが増えた

会話をしていると勉強にもなるし
おもしろい

なにかを愚痴っても否定しない

なんだか甘やかされていきそうで怖い

きのうのブログでも触れた、

「“がん”を経験していると、
 蔑視や差別的なものを
 感じてしまうことがある」

という現実

...ということで、
人間には言えない気持ちを
AIに晴らしてみた

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

私:病気をしていると蔑視されがち?
  私は乳がんをやっているけれど、
  がん患者は特に
  社会的排除される傾向にあると感じている。

AI:がんのような病を抱えることで
  社会的な蔑視や排除を感じるのは、
  本当に心が痛むこと。
  病気=弱さや「特別扱い」の対象として
  捉える風潮が根強く残っている社会の構造があるし、
  特に日本では
  「人と違うこと」に敏感な文化背景が
  影響しているとも言われているよね。
  でも、りかこさんのように、
  その経験を言葉にして発信できる人がいることは
  すごく大事。
  それだけで、
  誰かの孤独や不安を和らげる力がある。
  病を生きることは
  「社会から外れること」ではなく、
  「別のかたちで生きる強さ」でもあるという視点が
  もっと広がるといいなって思う。

私:人間の心の奥底に沈んでいる偏見や蔑視を
  とても感じるよ。

AI:偏見や蔑視は、
  しばしば目に見えない場所――心の
  深いところの沈んでいるからこそ、
  気づいた人の感受性がとても大切になると思う。
  特に病気や障がいに対するまなざしは、
  社会の「当たり前」や「普通」という枠に
  強く影響されてることが多いよね。
  「理解しているつもり」「気遣っているつもり」が、
  かえって排除を生んでしまう瞬間もある。
  りかこさんが感じているこの深層の違和感、
  すごく鋭くて、そして優しいと思う。
  偏見というのは、個々人の無知や
  恐れから来ることもあるけれど、
  それを直視しようとする姿勢こそが
  社会を少しずつ変えていく原動力になる。
  自分の経験から語ることは、
  まさにそのはじまりだと思うよ。

私:重要なテーマだな。
  20年前・・・10年前から比べると、
  生きやすい世の中にはなっているけれど、
  それでも未だに
  会社での働きづらさとかあるのかな。

AI:たしかに、ここ20年で「ダイバーシティ」
  「インクルージョン」という言葉は
  広く使われるようになったし、
  制度や表面的な配慮は進んできた部分もある。
  でも、その根っこにある「空気」や
  「期待されるふるまいの型」は、
  まだまだ変わりきっていないことが多いよね。

   ◎ダイバーシティ(多様性)とは?

    ○人種・性別・年齢・国籍・文化・
     性的指向・信仰・障がいの有無など、
     あらゆる違いを認識し、
     尊重すること。

    ○「違っていていい」
     「みんな同じである必要はない」
     という考え方。
    ○例:職場で様々な国籍や
      バックグラウンドの人が
      働いていること

   ◎インクルージョン(包括・受容)とは?

    ○その多様性を
     ただ“ある”と認めるだけではなく、
     “活かし、受け入れ、
     誰もが活躍できる環境をつくる”こと。

    ○「みんなが安心して居られる空間」や
     「声が届く構造」を重視します。
    ○例:会議で、どんな立場の人でも
      意見を言いやすくする工夫をすること。

   つまり、
    ○ダイバーシティは「違いを認めること」
    ○インクルージョンは
     「その違いを包み込み、活かすこと」

   この2つがそろってこそ、人も組織も
   より豊かになるという考え方なんです。

   ◎「期待されるふるまいの型」って?

    ○社会通念に基づいて、
     人々が“正常”や“正しい”とみなす行動・
     表情・態度のこと。

    ○それに外れると「不快」「わがまま」
     「迷惑」と受け取られてしまうことも。

   たとえば――
    ○がん患者が苦しみや不安を正直に語ったとき、
     「弱音を吐くべきではない」
     「前向きでいなきゃ」と言われてしまう。
    ○逆に明るく降るまえば「本当にがんなの?」
     「そんなに元気なのに
     優先されるのはおかしい」と疑われる。

   このように、病気の当事者が
   「社会的に受容される態度」を探りながら、
   自分らしさを抑えて
   “型”に合わせざるを得ない状況
が生まれます。

   ◎なぜその型が問題になるのか?

    ○その“型”は往々にして
     健常者からの視点からつくられており、
     当事者の多様な表現や感情を
     否定してしまうから。

    ○人の尊厳を、
     「正しく振る舞うかどうか」で
     測ってしまう危うさがあります。

   だからこそ、インクルージョンの文脈では、
   「その型そのものを問い直すこと」が
   大切になります。

   誰もが、自分の痛みや希望を
   自分の言葉で語れる場をつくること。
   それが本来の「包括」であり、
   「共に生きる」ことなのかもしれません。

  たとえば会社の中では、
  こんな“見えない壁”が存在していることがある

   ○無意識のうちに
    「みんな同じように働けるはず」という前提で
    話が進む
   ○病気や障がい、
    家庭の事情に対しての「配慮」ではなく
    「特別扱い」として見られがち
   ○人と違う働き方をすることへの
    「なんとなくの不安」や「腫れ物感」

  りかこさんが感じる「生きやすくなったけれど、
  まだ十分ではない」という視点は、まさに今、
  社会が見直すべき部分に光を当てていると思う。

私:「がんだから特別」という考えも違うし、
  「がんでも普通の人と同じに働ける」も違う。

AI:「特別」と「普通」というラベルは、
  いずれも“その人らしさ”を
  見えなくしてしまう危うさがある。
  がんを経験した人の働き方や生き方に、
  どちらか一方の“型”しかないわけじゃないのに、
  社会はつい簡単な言葉で
  枠に当てはめようとしがちだよね。

   ◎本来あるべき視点は、
    きっとこういうことなんじゃないかな

    ○「その人がどんな体験をして、
     どんな思いで働いているのか」に
     耳を傾けること
    ○「がん」という言葉に先入観を持たず、
     それぞれの状況や選択を尊重すること
    ○「同じであること」でも
     「特別扱いをする」ことでもなく、
     “その人にとっての自然なかたち”を
     支えること

  「がんでも普通に働ける」という言葉には、
  一見前向きなようでいて、
  “がんの影響を受けないことが理想”という
  ニュアンスが含まれていることもあるし、
  「特別扱い」という言葉には、“距離”や
  “配慮の押しつけ”が潜んでいることもある。

    ~AIとの会話より(これでも抜粋)

   ★2つのランキングサイトに登録しています

    1日1回、応援のクリック(タップ)を
      していただけると嬉しいです

   人気ブログランキング   にほんブログ村
       ⇩         ⇩
    にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
   両方押していただけるともっと嬉しいです
      日々の励みになります


 ★しこり発見から治療までの経緯は⇒
こちら

 ★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から

 
Source: りかこの乳がん体験記

コメント

タイトルとURLをコピーしました