新しい年も,気がつけばすでに一か月が過ぎました.
年明けの休日,仙台循環器病センターの心臓血管外科時代に共に働いていたK先生とA先生が,神戸で開催された先天性心疾患関連の学会に参加するため来訪,久しぶりに再会しました.
もう20年以上も前,仙台で共に汗を流した当時の思い出話は尽きることがなく,あっという間の楽しいひとときでした.
仙台赴任の後,私は神戸に戻り,約5年間心臓血管外科の第一線で働いたのち,開業医として新たな道を歩んできましたが,彼ら二人はその後も小児心臓外科医として研鑽を重ね,現在も第一線で活躍しており,頼もしい限りでした.
彼らもすでに後進を指導する立場となり,それなりの苦労を抱えているようですが,その中でも大きな問題として挙げられたのが「ハラスメント」,とりわけパワーハラスメントとのこと.
昨今,ハラスメントという言葉が一人歩きし,会社でも学校でも,社員や学生に過剰なまでに気を遣い,叱責や厳しい指導が極めて難しくなっているという風潮が蔓延しています.何かにつけてすぐにパワハラと糾弾され,場合によっては責任を問われかねないからです.
医療の世界も例外ではありません.研修医や新人看護師への指導にも,当然のようにハラスメント規定が適用される時代となりました.
しかし,医療とは本来,生命を預かる仕事です.ニュースでもたびたび報じられるように,ほんの些細なミスが患者の生命を危険にさらすことすらあります.
とくに外科手術は,医師一人で完結するものではありません.看護師や技士など,多職種が一つのチームとして連携し,より安全に,より迅速に手術を行う必要があります.中でも心臓手術は極めて複雑で時間的制約も厳しく,使用する器具一つ,縫合糸一本に至るまで,選択や使い方が細かく決められており,その誤りが手術の成否に直結することもあります.
それにもかかわらず,昨今では新人が単純なミスをしても,ハラスメントを恐れるあまり,指導する言葉やタイミングに過度に気を遣わざるを得ないというのです.
つまり,ハラスメントと非難されることへの「ためらい」が,結果として患者の生命を危険にさらしかねない状況を生んでいるわけで,まさに本末転倒と言わざるを得ません.
以前からこのブログでも触れてきましたが,今の世の中はどこかおかしな方向へ進んでいるように感じます.
個人情報,コンプライアンス,そしてハラスメント.言葉ばかりが氾濫し,何のため,誰のための制度なのかが分からなくなっている.
ある会社では,机の上のパソコンのデスクトップに家族写真を設定していたところ,それを見た独身社員が「結婚できない人へのハラスメントだ」とクレームを入れたという,にわかには信じがたい話も耳にしました.まさに世も末,という感覚です.
どこまでがハラスメントなのか,その線引きは確かに難しい.しかし現在では,「本人がそう感じたらハラスメントと見なされる」とされています.最近では,ハラスメントばかりが話題になること自体を「ハラスメント」と呼ぶ“ハラハラ”なる言葉まであるそうで,もはや苦笑するしかありません.
もちろん,自分の感情に任せて怒りをぶつけたり,陰湿ないじめや理不尽な誹謗中傷を行うことは,決して許されるものではありませんし,それこそが本当のハラスメントでしょう.
しかし,本人や組織の将来を思って行う指導においては,時に言葉が厳しくなることもあるかもしれません.だからと言ってそれを何でもかんでもハラスメントと断じられてしまっては,指導する側もたまったものではありません.
失敗や誤りがあっても遠慮して指摘できず,結果として本人が正しい指導を受けられない.それでは,結局誰のためにもならないわけです.
ダメなものはダメ.会津藩士の掟ではありませんが,「ならぬものはならぬ」のです.
私が以前勤務していた病院でも,医師として明らかに誤った行為に対し,指導医がやや厳しく指導しただけで,翌日,退職届を提出した研修医がいたと聞きました.しかも本人が直接ではなく,同僚を介して紙切れ一枚を渡しただけだったとのこと.医師以前に人間として失格でしょう.
昨今流行りの「褒めて育てる」という言葉は聞こはいいですが,それだけで人が育つほど現実は甘くありません.
人生において,失敗や間違いを一度も犯さない人間など存在しないでしょう.人は失敗し,叱られ,反省し,それを糧として成長していくわけです.
時には,自分なりに一生懸命やったつもりでも,理不尽に叱られたと感じることもあるでしょう.しかし,今の社会,政治,世界情勢を見渡せば,理不尽なことなど枚挙にいとまがありません.それでも私たちは,その中で歯を食いしばって生きていかなければならないのです.
一度も叱られたことがなく,逆境を経験したことのない人間が,果たして他人を導き,人生の荒波を乗り越えていけるでしょうか.
長い臨床経験の中で,私は近年,些細なことで心を病んでしまう人が増えているという印象を強く持っています.
誰もが鋼のメンタルを持てるわけではありませんし,現代社会そのものに大きな問題があることも事実でしょう.しかし,それでもなお,過度に守られ,叱られた経験のない人ほど,精神的に打たれ弱い傾向があるのもまた事実だと思います.
基本的な礼節をわきまえない人,できない理由ばかりを並べて行動しない人,弱者には強く,強者には媚びる人.こうした姿勢の根底には,「本気で叱ってでも導いてくれる存在」の不在があるのかもしれません.
本当に人を守るべきなのは,耳あたりの良い言葉や過剰な配慮ではなく,間違いを間違いとして伝え,正す勇気ではないでしょうか.生命を預かる医療の現場において,そして社会全体においても,「叱ること」と「傷つけること」を混同する風潮は,そろそろ見直されるべき時に来ているように思います.
Source: Dr.OHKADO’s Blog

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