“隠れ”ピアサポーター

病院開催の『がんサロン』に
参加するようになって、17年と3か月

総開催数は208回だが、
実際の開催は196回

理由は、
吹雪で中止となったのが1回

あとは新型コロナウイルス蔓延のため
飛び飛びではあるが
11回中止となっている

  私自身は、台風や風邪、体調不良で
  3回ほど休んでいるだろうか

  なので、これまで193回ほど
  参加していることになる
  (ちなみに初回から参加)

コロナのときは、
「もう再開できないかもしれない」と
病院側も私も思っていた

実際にコロナ後、再開せず、
そのままになっているサロンもある

私が参加しているサロンも
再開こそしたものの、
コロナの前に参加していた人たちは
ほとんど来なくなってしまった

その代わりと言ってはなんだが、
今は新しい参加者が加わる機会も多く、
『がんサロン』としての役割は
大きくなった気がしている

そして私は――

17年、“患者の取りまとめ役”と、
“患者と病院の橋渡し役”として
参加してきたが、
これは、私と病院側の話

ファシリテーターとしての
役割を受け持ちつつ、
が、出しゃばらないよう、
参加者の話を伺いながら会を見てきた

それは、病院側から言われた、
“取りまとめ役”という立場を
“参加者のみんなに知られないように”という、
意味合いがあった

そのため、よく、

「ここを仕切ってくれているので
 お姉さんみたい」

「私、最初にこの人(りかこ)に
 優しく話しかけられたんだ」

「初めて来て緊張していたけど、
 声をかけてくれて安心した」

などと言われた

“サロンの役目を果たしている”
という安堵感

が、逆に、
「私が前に出過ぎてやしないか」と、
いつも狭間で揺れていたのも事実だ

そんな今では、昨年10月に
『ピアサポーター研修』を受けたことで、
堂々と参加者のサポートが
できるようになった
(病院側も、“ピアサポーター”として
 受け入れている)

  ※“ピアサポーター”という
   資格があるわけではない

まぁ、“隠れピアサポーター”から
れっきとした“ピアサポーター”に
なったわけだ

17年間、中途半端な立ち位置で、
正直、しんどいときもあった

いや、最初の10年くらいは
しんどいことのほうが
多かったかもしれない

“一参加者”でありながら、
それだけではいけない

が、
周りはこの状況を誰も知らない――

長年背負っていた肩の荷物が、
すっと落ちた感覚だ

  毎月発行している『がんサロン通信』

  これも17年間、
  体験記やエッセイを書いてきた

  当初、名前を記載していたが、
  そのうち匿名になった

  そのためほとんどの参加者は、
  誰が通信を書いているのか知らない

  「この中(参加者)に、
  これ書いている人いそうだよね」

  との会話が聴こえてきたこともある

  そして今年2月

  サロンが17年目を迎えた区切りということで
  『がんサロン通信』も一新

  “ピアサポーター”として
  記事を書けることになった

  これにも心の荷が下りた

  “隠れピアサポーター”と
  “隠れ執筆者”だったが、
  これで堂々と活動ができる

  堂々と、
  がん患者やご家族に
  寄り添うことができる

   ★2つのランキングサイトに登録しています

    1日1回、応援のクリック(タップ)を
      していただけると嬉しいです

   人気ブログランキング   にほんブログ村
       ⇩         ⇩
    にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
   両方押していただけるともっと嬉しいです
      日々の励みになります


 ★しこり発見から治療までの経緯は⇒
こちら

 ★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から

 
Source: りかこの乳がん体験記

コメント

タイトルとURLをコピーしました