長らく使われてきた「生活習慣病」という呼称は、近々消滅する可能性がある。この呼称に「『疾患自己責任論』の含意がある」とする批判が出されているからである。医療側に患者を傷つける意図がなかったとしても、そう受け取られるリスクがあるのなら、その使用は控えるべきであろう。
(略)
「生活習慣病」用語を導入した日野原重明の1985年当時の言葉は、今日でも読める(追悼◆日野原重明氏:患者指導にとって言葉は聴診器以上に大切だ.日経メディカル,2017)。いわゆる「切り取り」による誤読を避けるために、「患者指導のコツ」について問われた際の日野原の発言全体を引用すると以下の通りとなる。
日野原 「一番いけないのは抽象的な言葉。昔使った「成人病とは」という説教をいくらしても分からない。分からないような言葉を使わないこと。だから、私は、習慣病だと名称を変えたのです。習慣がつくる病気を昔はすべて成人病と言ってきたわけです。子供のときからの習慣が悪ければ、成人病と言われた高血圧、心臓病、心筋梗塞、胃や腸の癌のような病気が発生する。だから、習慣を変える。そうすると、そういうふうな病気を防げる、あるいは悪化させない、というふうに言うと、分かるでしょう?」この日野原の発言が、今日では「生活習慣病は個人の不摂生が原因=自己責任」とする偏見を助長したとされる。実際には、日野原は、療養指導の際に患者にとってわかりやすい表現を提案したにすぎない。
「成人病」などという抽象的な表現では、患者の自助努力を促すことはできない。この語は、あたかも「成人に達したらおのずと発症する疾患」のごときであり、そこには宿命論すら感じさせる。それに対して、日野原は、患者に自助努力を促すとともに、それに伴う自己効力感を健康推進への原動力にしようとしたのであろう。
後段の日野原自身の例を挙げれば、「プロの言葉では説明しない。『尿失禁』は『尿もれ』という」のと同様の理由で、「成人病」を「生活習慣病」と呼ぶことを提案したのである。
1. 経済用語としての始まり(1980〜1990年代)
- 金融の自由化: もともとは1980年代から1990年代の金融ビッグバンなどの流れの中で使われ始めた経済用語です。
2. 社会問題への転換(2004年・イラク人質事件)
- 世論の反応: 救出に向かう政府の対応に対し、「危険と分かっていたのに自己責任で行ったのだから、助ける必要はない」「自業自得だ」という批判が日本国内に渦巻きました。 [1]
- 一般化: この事件を境に、個人の行動の結果をすべて本人に帰す「自己責任論」という言葉が、マスメディアや世論の間で一気に日常語として定着しました。
3. その後の広がり
- 社会保障や生活困窮への適用: その後、海外のトラブルだけでなく、国内の貧困、仕事の失敗、生活保護、福祉の問題などに対しても、「生活が苦しいのは本人の努力不足や自己責任だ」という文脈で使われる範囲が広がっていきました。
NGO・NPOの活動における「自己責任」と政府の責任
イラクで武装勢力により拘束されていた5人の日本人に対して、政府の勧告にしたがわず危険地域に入った人々が悪いという、「自己責任」論が台頭している。こうしたなかで、4月26日付けの毎日新聞によると、今井紀明さん、郡山総一郎さん、高遠菜穂子さんの3人の家族は、ドバイ-羽田間の飛行機代など、合計約260万円を支払うことになるという。
国家が国民を保護する義務について十分議論が行われないまま、外務省が救出費用の一部を徴収することで、「自己責任」への対応策に既成事実を作ったことに、強い疑問を感じる。拘束された5人は、必ずしもNGO・NPO(以下、NPO)の関係者ではないが、NPOとの関連からこの問題が議論されている面が強い。このため、NPO活動という観点から、「自己責任」の問題を考えてみたい。
一貫したルールの適用: 外務省は、旅行中の急病や一般的な事故での遭難時と同じ「渡航費は自己負担」という既存のルールを機械的に適用したに過ぎません。事件だからといって特別なペナルティ(罰金など)を科したわけではないため、そこに政府の意図的なメッセージや「自己責任論の罠」を読み取るのは飛躍しているという指摘です。 税金投入のバランス: 国民感情としても、「危険を冒して行った人の私的な移動費まで全額税金で賄うのは、むしろ不公平(逆差別)である」という実務的・常識的な感覚が勝っていたため、この批判は世論にあまり響きませんでした。
まさにその通りです。当事者や支援団体がどれだけ「国家の義務」や「人道支援の正当性」を訴え、身内向けの自己擁護を展開しようとも、現実の日本社会の世論はそれを受け入れず、結果として「自己責任論」が圧倒的なマジョリティとして定着しました。この事件をきっかけに「自己責任論」が社会の共通認識として完全に定着した背景には、以下のような現実的な要因がありました。
- 国民の圧倒的な違和感: 「危険だから行くな」という国からの再三の警告を無視して渡航し、事件に巻き込まれて国や社会に多大なコストとリスク(外交官の奔走や自衛隊派遣への影響など)を負わせながら、身内が「国が悪い」「自分たちは悪くない」と主張する姿勢に対し、多くの一般国民は「あまりにも虫が良すぎる」と強烈な反発を覚えました。
- 「迷惑の可視化」による実利的な納得: 外務省が通常のルールに従って「実費」を請求した事実は、世論にとっては「こじつけのシグナル」などではなく、むしろ「国や他人に迷惑をかけた以上、応分の負担をするのは当たり前だ」という極めて常識的でわかりやすい実例として受け止められました。
- 不況下の日本社会の土壌: 当時の日本は、長引く不況や成果主義の導入などにより、誰もが必死に自己責任で生活を成り立たせている時代でした。「ルールを守って必死に生きている人間が損をして、ルールを破って危険地に行った人間が税金で過剰に守られるのは不公平だ」という社会全体の空気が、自己責任論を決定的なものにしました。
結果として、人権団体や支援者たちの「危惧」や「論理のすり替え」は世論の分厚い壁に跳ね返され、むしろ「ルールを無視した自由には、過酷な自己責任が伴う」という教訓だけが、現代の日本社会に深く刻まれる既成事実となりました。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2


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