シニアスポーツのあり方と、トップアスリートが示すべき「リスペクト」の形

過去記事「スポーツは相手へのリスペクトが前提にあるべき」のリーガルセーフ版です。

過去記事は非公開としました。


シニアスポーツのあり方と、トップアスリートが示すべき「リスペクト」の形
某大会の報告ページに掲載された、ある元オリンピアンによる「総評」を読み、スポーツに関わる一人として強い違和感を抱かざるを得ませんでした。そこには、生涯スポーツとしてのシニア大会に対する敬意や、対戦相手へのリスペクトが決定的に欠けているように見えたからです。
特に気になるのは、文章全体に漂う「自分、自分」という独善的な姿勢と、安易に「リベンジ」という言葉を使ってしまうスポーツ観の浅さです。
本来、英語圏における「Revenge(リベンジ)」とは、不当に傷つけられたことへの「仕返し」や「復讐」を意味する非常に重い言葉です。海外では命のやり取りすら連想させる言葉であり、互いを尊重し合う地平にある「スポーツ」の文脈では、決して使ってはならない禁忌(タブー)とされています。しかし、日本のスポーツ界では、トップアスリートでさえこの言葉の持つ下品さや危うさに気づかず、安易に口にしてしまう現状があります。
過去に、テニスの錦織圭選手が国際大会のスピーチで、対戦相手の名前を間違え、主語が「I(私)」ばかりになり、さらに「Lovely to have a revenge(復讐できて嬉しい)」と言ってしまい、国際舞台での重大なエチケット違反を指摘された事例がありました。長年海外で活躍するトップ選手であっても、こうした「リスペクトの形式」に対する自覚が欠けてしまうことがあるのです。
今回のシニア大会の報告文にも、まさにそれと同じ体質が透けて見えます。
“シニアはなめてはいけない。勝つ人はめっちゃ練習してる!過去の栄光は関係ない。ありますか?ありませんか?”
この一文からは、裏を返せば「自分自身がどこかでシニア大会を甘く見ていた」という本音が透けて見えます。さらに、普段から「オリンピアン」という過去の実績を強調されている方だからこそ、あえて「過去の栄光は関係ない」と言葉にせざるを得ない、内面的な葛藤や過去への執着すら感じさせます。
“始めから勝つ気できてるのを感じました。”
そもそも、最初から負けるつもりでコートに立つ選手などいるでしょうか。対戦相手が全力で勝ちに来ることをわざわざ驚きをもって記すこと自体、どこか「元オリンピアンの自分に対して、相手は一歩引くのが当然だ」という、傲慢な意識が前提にあるのではないかと疑ってしまいます。コートに立てば、過去の実績に関係なく、互いに全力を尽くして戦うのが当たり前のエチケットです。
また、文章の中にはこのような記述もありました。
“今年は一度も『余裕でしょ』とは言われませんでした。去年負けてるからね。”
周囲からの「余裕でしょ」という言葉の本質は、純粋な応援というよりも、元トップアスリートに対する牽制や皮肉に近いものだったのではないでしょうか。同じように練習を積んでいるのであれば、元日本代表クラスがシニア大会で勝利に近づくのは自明の理です。そうした周囲の視線の本質に気づかず、自身の戦績の言い訳として持ち出す点にも、精神的な余裕のなさが伺えます。
そして、締めくくりの言葉も自己中心的な印象を強く残すものでした。
“自分は覚悟して出るのを決めました。来年はどうしよう~。。”
シニア大会は現役選手の戦いとは異なり、健康維持、生涯の趣味、純粋な競技の楽しみなど、参加者それぞれが多様な目的を持って集まる場所です。
それにもかかわらず、終仕「Ⅰ(自分)」の視点だけで「自分の覚悟」を叫び、周囲にまでそれを押し付けるかのような姿勢は、スポーツマンシップとはかけ離れています。
こうした古い体質(しがらみ、上下関係、内向きな体育会系の弊害)が蔓延し、国際基準のマナーや精神性が十分に身についていない元トップ選手が、自覚のないまま指導者の立場に就いているのだとすれば、それは日本のスポーツ界にとって決して良いことではありません。
世界に目を向ければ、例えばラファエル・ナダル選手が全豪オープンで優勝した際のスピーチは、今も語り継がれるほど洗練されています。

ナダル選手はスピーチの冒頭で、まず失意の底にいる対戦相手を「素晴らしいチャンピオンだ」と称え、その未来を祝福しました。
その後も、観客への愛情、苦しい時に寄り添ってくれた家族やチームへの深い感謝、ボランティアスタッフや大会関係者、そして長年支えてくれたスポンサーへの謝意を、言葉を尽くして伝えています。
自分の話はほんの一部であり、最後は「また来年もここに来られるよう最大限の努力をする。また会おう」という前向きな誓いで締めくくられました。
これが、世界で認められるトップアスリートの共通マナーであり、エチケットです。
もし、今回のシニア大会の報告も、

「またこの素晴らしいシニア大会に来られるよう、最大限の努力をします。関係者の皆様、本当にありがとうございました。また大会でお会いしましょう」

という一言で締めくくられていたならば、周囲へのリスペクトが伝わる素晴らしいものになっていたはずです。
どれほど過去にオリンピック出場とか輝かしい実績があったとしても、、その発信する言葉が独善的な記述に終始してしまっては、指導者としての器すら疑問視されてしまいます。
真のトップアスリートとは、競技の実績だけでなく、その振る舞いや言葉選びにおいても人々の模範となる存在であってほしいと強く願います。

付記(元のblogより)

テニス、ナダルのスピーチ
「皆さん、こんばんは。もう日付が変わって朝か、グッドモーニング!

 まずは、今タフな瞬間を迎えているダニール。※(先ず失意の相手を気遣う)君は素晴らしいチャンピオンだ。※(先ず相手を称える励ます)

僕もこの大会で決勝に進んでトロフィーを手にするチャンスがありながら、何度も準優勝で悔しい思いをしてきた。君はこれから間違いなくこのトロフィーを何度も掲げるだろう。
※(相手の未来を祝福する)

君とチーム、家族の皆におめでとうと言いたい。テニスキャリアの中で一番エモーショナルな試合のうちのひとつになった。ありがとう。これから君のキャリアが素晴らしいものになることを祈っている。
※(相手の名前とチーム・家族を出して称え感謝する)

何て言ったらいいかわからないよ。とにかくアメージングだ。1ヵ月半前はツアーに戻ってこられるかどうかもわからない状態だった。でも今日はここに立って、皆の前でトロフィーを手にしている。ここに戻ってくるまでどれだけ戦ってきたか。この大会で皆の応援には、感謝してもしきれない! その愛情と応援を本当にありがとう。
※(自分のとまどいと喜びを表明、応援に感謝)

キャリアの中でもっともエモーショナルな試合のひとつだ。この3週間、皆から受けた応援は一生僕のハートに残るだろう。ありがとう。
※(応援に感謝)

チーム、家族、この会場に来ていない人も含めて、ありがとう。この1年半どれだけ苦労したか。苦しいときにずっと寄り添ってくれたのが皆だった。君ら無しではここで成し遂げたことは何も達成できなかっただろう。ありがとう。
※(チームと家族のよりそいに感謝)

すべてのボランティアの方々、スタッフ、この大会に携わった皆さん、すべてのスポンサー、ありがとう。
※(ボランティアスタッフ大会関係者、スポンサーその他に感謝)

特にKIAは僕がテニスでツアーに参戦し始めてからずっとサポートしてくれている。テニス・オーストラリア(豪州テニス協会)もありがとう。
テニスの大会を開催するのが困難な時期、特に昨年は素晴らしい仕事をしてくれた。
※(豪州テニス協会に感謝)

クレイグ(タイリー)、君や君の周囲の人々がどれほど大変だったか知っている。ありがとう。いつも選手たちをサポートしてくれてありがとう。感謝しきれないほど支えてもらっている。

※(オーストラリアン・オープンの責任者とスタッフに感謝)

1ヵ月半前は最後のオーストラリアン・オープンになるかもしれないと思っていたのに、今はエネルギーに溢れており、今後もプレーを続けられるよ。
※(最後に自分の体調・状態に触れる)

今のこの感情をうまく表現できないけど、また来年もここに来られるよう最大限の努力をする。本当にありがとう。また近いうちに会おう!
※(また努力すること、再会を願い誓う)

先ず「リベンジ」とかトップアスリートが使うべきではない言葉です。

リベンジ英:
revenge、仏:
revencher)とは、(第一の意味、本来の意味)ある人が傷つけられたり不当に扱われたことへの仕返しで、そうされた当人が自分自身の手で、相手を傷つけたり危害をあたえること(Oxford辞典での説明)。


また、派生的な用法としてスポーツの文脈である対戦で自分(や自チーム)を打ち負かした相手を、その次の対戦で打ち負かしてやること(Oxford辞典での説明)。

Wikipedia (JA)

「リベンジ」を使うのはサイアクな下品さです。
※下品どころか欧米では殺し合いになる。
※スポーツでは決して使ってはいけない。

▼錦織 圭言葉選びにご用心!「リベンジ」は絶対に使ってはダメ

■発音や文法ミスより重大な問題

実を言うと、錦織圭のスピーチには重大な欠陥がある。

それも、些末な発音や文法ミスの問題ではない。国際舞台でやってはいけない禁忌を数多く犯してしまっている。19年のブリスベン国際でのスピーチを検証してみよう。

最初に説明した「形式」に基づき、フェデラー、ナダル、ジョコビッチはまず対戦相手をたたえるところから始める。ところが、錦織はこのスピーチも「私はやっとこの大会で優勝できて嬉しいです。私がこの大会に出場するようになって7回目か8回目……」と「私」(I)のことばかり話し、対戦相手への労いがない。

やっと「Congrats
to
Daniel」(ダニエルに労いを)と対戦相手に言及するが、この日の相手は「ダニール・メドヴェージェフ」つまり「ダニエル」ではない。

なお、19年全豪オープン4回戦でカレーニョ・ブスタに勝ったときも、2試合前のカルロヴィッチと名前を間違えている。この時点で失格である。

次に、「昨年日本での決勝で彼に負けていて……」とある意味「歴史」を語るが、その次に「Lovely
to have a
revenge」(復讐できて嬉しかった)と言ってしまった。

英語圏でRevengeとは、映画「ブレイブハート」に出てくる、新妻を領主に殺されたウィリアム・ウォレスが決起するときに使う言葉である。断じてスポーツで使う言葉ではない。

人生の半分以上を米国で過ごし、10年以上ATPツアーに参加している錦織には、弁明の余地がない。一体周囲は何をしていたのか。なまじ相手に通じる英語を話しているからこそ、この問題は深刻なのだ。

錦織のスピーチの特徴は、主語の大部分が「I」ということだ。

Youが出てくるのは、「you know」と息継ぎをするときだけと言っても過言ではない。

you knowを多用すると、いかにも頭が悪そうに見えてしまう。

錦織のスピーチを改善するには、まず対戦相手をたたえることを最優先にすることだ。

そして可能な限り主語がIの文章を減らしてYouについて言及すること。

この場合のYouとは「対戦相手」とか「大会ディレクター」など特定の個人の場合もあるが「ファンの皆さま」「一般大衆」という意味もある。

Youへの感謝を増やせば、最低限の改善はできるだろう。

フェデラーとジョコビッチがどんなスピーチをしているか、実例を挙げたので参考にしてほしい。(文中敬称略)

日本のスポーツ界って結構古い体質、しがらみ、上下関係、派閥、ヒエラルキー、体育会系体質が蔓延している、、

今の40代以上は特にそうです。

その辺りの改善が急務ですね。

この見下す人達はまったく自覚がない。

自覚のないオリンピアが偉そうに振る舞うのは正直言ってスポーツの品位を貶めることしか無いです。

野球は「人間力を育てる場所ではない」

   2017年8月7日放送の情報番組「5時に夢中!」(TOKYO MX)では、同年夏の甲子園に出場した福岡県の東筑高校・青野浩彦監督のインタビュー記事を紹介した。

   その中で青野監督は、


「『野球(部)は人間力を育てるところ』なんて言うけど違う。悪さをしないために野球をやってるみたいな学校もあるでしょう。でも、野球に縛られたものが外れたら結局ダメになりますよ」
「素行が悪くても野球がうまいから、といって取るのはダメという話ですよね」


と持論を展開した。

   コメントを求められたマツコさんは、


「野球が人間力を育てる場所ではないということは、うちの大川(貴史)P(プロデューサー)を見ればよく分かるんですけど…」


と青野監督に同調。その上で、野球は人間力を育てないと主張した。


「まあ、大川Pだけじゃなくてね、よく名門野球部出身の人が、この世界で結構いますけどね、テレビとか(広告)代理店とか。だいたい、ほぼ十中八九クソ野郎ばっかり。野球なんてやってても、あんな人間しか育たないんだな、っていう…」

野球部出身者は「クソ野郎」だらけ マツコ「超辛口発言」読者はどう見た
タレントのマツコ・デラックスさんが言い放った「(野球部出身者は)十中八九クソ野郎」との持論。8か月ほど前にJ-CASTニュースが記事で取り上げたが、この発言に対して多くの賛同が寄せられている。野球は「人間力を育てる場所ではない」2017年8...
人格が伴ってこそのスポーツ実績です。

取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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