“押し問答”ではないですが、神の御意向について、ときにはわたくしなりの良心に従い、天へ幾度も問いかけることがございます。
「神よ、この内容は、今は世に知らせるのが難しいです」
「たとえ程度を変えてでも、表現のなかにわれら(神々)の意図を汲み、なお人々へ伝えなさい」
「そうですか。ではなぜ、今このタイミングで降ろすべき言葉なのでしょうか」ーーー
等々、わたくしも元来こだわりの性分でもあり、何より、神の大いなる御心を、たとえそれが見えないものであっても大きな安心感、喜び、ひいては“愛”として感じられるよう、言霊として大切に紡ぎ出してまいりたいのです。
ですから、今現に示されるこの世の状況、あるいは人の心身の状態にあって、どの程度の表現で伝えていくべきかを、お伝えするタイミングも併せ、その都度推し量っております。
少々驚かれるかもしれませんが、わたくしのブログは一つの記事を完成させるのに、体裁を整えるのを含めますと、通常は2時間以上を費やします。内容によっては軽く3時間を超えたこともこれまで一度や二度ではございません。
これは、長々とかしこまった文章ゆえでもございますし(※平易な口語体に神の御意を当てはめることはできません)、なおかつ、神の御意に適う言葉の選定と、それらを皆様にお伝えするための表現となることにもっとも心を砕いているゆえです。
けして思いつきでなく、わたくしなりに神の御心に沿いつつ、心を込めて書かせていただいていることを、ブログの文章から感じていただければ幸いに存じます。
話がやや脱線いたしますが、記事③で書いたような、自らの霊体を、別の霊体に依らせて言葉を述べる、つまり“憑依型”の方法は危険と隣り合わせです。
無論、わたくし自身、そうしたやり方で真実に迫るごとくのお言葉を述べ、威勢を発せられる方々があるのは重々承知しております。
しかしながら、“自分”という範疇(はんちゅう)を超える意味での、霊的に取り換え可能な状態になる、ということは、一歩間違えますと、神とはまた別の意識体とアクセスしてしまう(=チャンネルを合わせてしまう)ことにもなりかねません。
あるいは、そういう変幻自在な霊的状態は、総じて不安定な状態でもありますから(※自らの霊体を入れたり出したりできるので)、ひょんなことから、望ましからぬ霊魂が自分に入り込んでしまう可能性も正直否めません(※この場合には人格が変わります)。
「自分は、神に魂を売っている。己の魂を神に捧げているから、その代わりに、神は自分に入ることができる。だから、こうやってまさに神のごとく本物の言葉が話せるのだ」ということをおっしゃっていた方がいたそうですが、これまでこのブログをお読みくださっている皆様はもうお分かりですね?
神には、自分の魂はけして売ることはできません。もし本当に売ったことでその対価(代償)として人間以外の魂が自らの内に依(よ)るのだとしたら、それは“悪魔との契約”をしているのだと思っていただければと存じます。
そもそも、神はわたくしたちを自らの所有物としては見なしませんので、何人(なんぴと)の魂をもらったところでそれは露ほどの意味も成しません。いわば、人間側の都合で、神という名のもとに霊的な物事が利用されているのではと慎重になるべきで、しかし残念ながら、この世にはいまだにそういった事象が多く存在しております。
わたくしをはじめとする霊能を司る者こそ、これは厳に慎まなくてはなりません(※天上界へ召し上げられた際、一般的な天の審査とはまた別の類の、厳しき精査が入ります)。
(次回は⑧最終回となります。)
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Source: 神々からのメッセージ
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