※筆者より【戦国武将の心意気①】

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普段わたくしはテレビの無い生活をしております。もちろん社会の情報は、必要最低限の手段でそれこそ短時間で確認しているのですが、テレビ無しの日常は意外に快適で、慣れれば何の問題もありません。

もうかれこれ10年以上テレビとは縁遠いですが、そんなわたくしでも、つい先頃、「日本人が好きな戦国武将」について取り上げた番組を観る機会がありました。

“戦国武将”――― この漢字を見ただけでも、戦乱の激動期を駆け巡ったかつての猛者(もさ)達の生きざまにロマンをかき立てられますね。

地元で今なお武勇伝を語り継がれる武将を慕ったり、あるいは、厳しき世にあって生き抜いたその半生に強い憧れを抱いたりする方も多いのではないでしょうか。

時代は異なれども、命を賭して物事を成した武将たちの生き方に、後世のわたくしたちにも通じる大切な要素が含まれているからこそ、今もなお人々の心を惹き付けてやまないのだと思います。

わたくし自身、これまで全国への祈りの旅は数知れず、そのなかで、古戦場やまた城址(じょうし:城跡)など、歴史にちなんだ場へも頻繁に訪れます。

よく“塚”という名のつく、首塚や胴塚、また足塚なども今なお各地でその史跡を辿ることができます。それらの塚のすべてではありませんが、戦国時代での戦(いくさ)などで敗れた武士たちの身体の一部が切り離され埋められているとも言われ、そういったことに起因する、けしてきれいごとではない出来事が、この日本でも繰り返しおこなわれてまいりました。

いわゆる、城に立てこもる籠城(ろうじょう)の末に一人残らず死した魂も、また飢饉(ききん)などでついには命を果てた魂も、それらはやはり今なお集団のように群を成し、浮かばれない霊(浮遊霊)となっていることが多いです。

“〇〇塚”のように、人体を各部に分けて葬る意味は様々にあるとは存じますが、霊的に一つ言えるのは、とくに首を胴体から切り離してしまいますと、人の御霊はかなり転生がしにくくなるということです。

古代より、祈祷にはじまる呪術は、霊験を感得した方が、それこそ人の病を治したり、物の怪(もののけ:悪霊)などを祓うなどに使いました。

これらは良い面もありますが、生きるか死ぬかの厳しい時代には、呪術もまた相手をやり込めるために極端なものが追究されたはずです。

呪術は、妖術(ようじゅつ:不思議な現象をおこさせる術。幻術)なども用いて、ときにかなり戦闘的だったと思います。そういった意味で、相手を呪詛(じゅそ:呪い殺す)こともできてしまう呪術は、効果も絶大な一方、大変に危険な面をも持ち合わせています。

こういった呪術を用いての争いが繰り返されるなかで、おそらくはあるとき、霊的な真実に“気づいた”先人がいたのでしょう。

“首を斬ると、敵は蘇生(=転生)が叶わない”と。

殺したほうは、(殺された)相手が生き返ってしまっても大変です。そして、なお相手が生まれ変わってしまい、因果応報のごとくに今度は自分が(転生の世で)不運に見舞われるようなことも回避せねばなりません。ですので必然的に、首塚、胴塚のように、あえて身体の各部を分けて葬るやり方がおこなわれるようになったのでしょう。

“大将の首を取る”という言葉があります。これは無論、現実的にもかなり惨(むご)いのですが、霊的にもまた本当に大変なことを(相手に対して)してしまったと思うほうが良いです。

(次回②へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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