※筆者より【ご質問への回答⑦ 後編:多くの人に死をもたらした魂に、あの世での“恩赦(おんしゃ)”はあるのか】

その他

前編 からの続きです。)

わたくしたちは誰しも、この世に生きている間に果たすべき“お役目”があります。

何か(物事)を成す、ばかりではなく、その地域に生まれ出で、そして自らの立場で生きることさえも、当人が授かった“お役目”とも申せます。それは、人ひとりがこの世に生きるのは、言い換えれば、その人に連なる魂たちもまた、この世に縁をもち、しかるべく生まれ出でる(そして、必要な場にて生きる)ことに繋がるゆえです。

人間で言うところの、“恵まれた”環境に、皆が生きられれば良いのですが、国ごとに生活環境に様々な様態があり、なおかつそこには一定数の人が、いずれの形であれ命を繋ぎ合っていることは、ある意味、不思議な仕組みでもあります。

そして死後もなお、各々の人(御魂)にはお役目があります。現象界にも沢山の“繋がり合った”人がいるように、霊の世界にも、それこそ沢山の“繋がり合う”霊魂たちがいて、自らもそのうちの魂の一つとして、霊界でのエネルギーを成していくのです。

現象界でのおこないにより、人は、肉体を離れてのち、霊界ではあらゆる“辿り方”をいたします。生前に対する反省を、当人がまっとうできるよう、天の御計らいにより決まります。

それこそ“地獄”のような層もあるのですが、その反省の“進度”や“深度”をどの程度、神より求められているか、さらには次なる世への魂の蘇生をも目指し、自分がどこに行くのかは、本当に人それぞれです。

さらに言えば、“生前の生き方”については、社会的に大きな影響を及ぼしたから好ましい霊界に行けるとか、ほんの小さな枠組みのなかで生きたから、もっと頑張りなさいよとして、苦しい状況の霊界に行かされるとか、そういったことはありません。

要は、あの世での判断基準は、前回の記事で書いたとおり、当人と神との間での、約束の内容(生きる目的・使命)なのです。ですから、それらを、自らの意思でどのように努めましたか、ということを問われていくものですので、わたくしたち一人ひとりが“主役”であるとも申せるでしょう。

たとえば、この世において多くの人に影響を及ぼすような立場の方は、端的な意味では、やはり相応の“素質”があります。現象として現れるには、何より、見えないエネルギーが関係しますので、多くの人に影響を及ぼすような立場になるのは、そのような方向が(エネルギーとして)流れている証拠です。

神は、人に不可能なことを強(し)いたりはしません。とてつもなくレベルが高かったり、あるいは、当の素質と比して荷が重すぎるようなことは元より定めないのです。

ですから、当の魂の転生具合を、たとえば各々の時代にどのようなことを成したかや、どのような類いの霊性をもつ人々と接したか等をつぶさに御覧になり、“では、次なる世では”と、その魂こそが請け負うべき使命を定めてまいります。

少々厳しい言い方になりますが、各々の御霊に定められたお役目はありつつも、それは、数多(あまた)の霊魂の一つひとつに定められているゆえ、もし仮に、その御霊がお役目を果たさなければ、それ以外の御霊が、自らに任された別の“同等のお役目を担う”、ただそれだけです。

元々、自身が納得して、勇んでお役目を(神より)いただいているだけに、この期(ご)に及んで、“猶予を・・・”などとは口が裂(さ)けても言えません。自分が“やるかやらないか”です。

そして、“あなたこそは”として神に託されたお役目が、たとえ良きに果たせなかった場合、ひいては、多くの人々の生き死にに、少なからずの悪影響がもたらされた場合には、その罪を償うのは、当人しかできません。いいえ、当人が、どれほどの長きにわたっても必ずや償わなければならないのです。

これがたとえば、霊界での重要な局面であるとか、地上での時代の大きな節目などだからと言えども、その魂が、霊魂として大いに活躍するべく、地獄のような層ではなく、より自由な霊界に行かれるよう、神が温情(恩赦)を与えることは、残念ながらありません。

自分が生前、多くの人々と生死を分かつような重大な局面を共に得ること(あるいは深く関わること)で、人生の行く末をゆくゆくまで(霊界に至るまで)請け負うというのは、それだけの見込みのある御霊にこそ、神が任されたものです。ですから、霊界での責務をきちんと果たし、(大切な御霊たちを、次なる世へとしっかりと送り出せましたね、という)神からの最終的な御判断が無い限り、けしてその責(責務)から免れることはできないのです。

逆に申せば、それくらい、神は、わたくしたち各々に“あなたしかできないこと”を託してくださるのです。それは人への影響だけではなく、自らの“生き方そのもの”をです。

けして自分勝手な意味ではなく、“あなたが幸せに生きること”を、神は究極求めます。

ですから、神が、現象界での命を遂げた霊魂に対して、お尋ねになる最初の御言葉は、「あなたは、自らに設定した出来事を通じて、この世を楽しく生きられましたか?」というものです(※魂の向上にとって必要な学びを、現象を通じて実際に経験できることは、魂の世界では“楽しい”という判断になります。それが、たとえ辛いことであってもです)。

霊の世界には、“もしこういう(別の)バージョンがあれば”というのは存在しません。本当に剥き出しで、逃げも隠れもできないそのままの、緩みなき世界です。

そう考えますと、わたくしたちが生きるこの人間界は、いかに幾通りもの生き方ができるでしょうかーーーー 実際これは、霊の世界とは比べものになりません。やり直すことも、選択を変えることも、また、心を改め、生き直すことすらも可能な世界が、神が降ろしてくださった、地球という“奇跡の学び舎(や)”です。

もうお分かりになりますね?

今生きている地上の、まさにこのときが、わたくしたちが自らの意思で変えることのできる、唯一の場です。

霊の世界を知ることは、わたくしたちの地上での在り方を考えていくきっかけになります。

今なお幾年(いくとせ)もの間、暗い世界で岩盤の重みに耐え、在りし日を省みて、今や手の施しを、直(じか)にしようもない数多の御霊たちをひたすらに弔(とむら)い続けるの武将の姿もまた、わたくしたちに“生きる”という無上の貴重さと重大な覚悟を、まさに身を賭(と)して教えてくださるのです。

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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