哀しみは、あとになってやってくるもの。

母が亡くなり、5年が過ぎた

ようやく母がいないことが“当たり前”になった

幸い、母が亡くなるまで、
心の準備をする時間があった

それは、“ただ死を待つ”という、
つらい時間でもあったのだが...

「今、病院から電話が来て、お母さん、死んだって」

と、父からの電話を受けたのは、
夜中の12時を回ったときだった

病院に駆けつけ、
死亡が確認されたのは午前1時45分

まだ温かかった母の身体

寝ているような穏やかな顔...

が、寝ているときの母の顔とは、
やはり違っていた

「本当に母は死んだのか...。
 いや、母は本当に死んだのだ...」

母の亡骸を見つめながら、
何度も何度も心の中で繰り返した

その夜はほとんど寝る間もなく、
明け方まで葬儀の準備

陽が昇りはじめてから2時間ほど仮眠をとり、
夕方の通夜まで来客や電話の応対と、
食事を摂る余裕もなかった

通夜、葬儀と慌ただしくも長い2日間を終えるも、
すぐに初七日

バタバタと忙しいときは、
哀しみも少なくて済む

すべてが終わったとき、その空虚感は襲ってくる

静まり返っている茶の間

いつも母が座っていた場所に、母はいない

そこには母の笑い声も、
母の温もりもない――

なかなか母がいないことに慣れなかった

それは、遺品の整理をしたときのことだ

もう母はいないのに、
母の持ち物を全部処分してもいいはずなのに、

「ねぇ、お母さん。これ、捨てていいの?」

と、何度も何度も聞きたくなった

母の持ち物をゴミ袋に捨てることが、
なかなかできなかった

それは、
“母が死んだ”とは認めたくない思い

そして、
“また戻ってくるのではないか”という錯覚だった

聞きたいことも、もう聞けない

話したいことも、もう伝えられない...

ようやく少しだけ、
哀しみが薄らいできたとき、四十九日がやってくる

それは、
想い出や哀しみがぶり返す儀式でもあった

そして一周忌...

「供養は必要なことなのかもしれない。
 が、こんなにつらいのなら、
 法要なんてしない方がいい」

そんなことを思った

哀しみが想い出に変わってきたのは、
3回忌が終わってからだろうか

そして、来年は7回忌

忘れかけた哀しみも、
また少し蘇ってくるのだろうか

先日の命日

あの頃のままの、
変わらぬ姿の母の写真を見つめていたら、
なんだか不思議な感覚がした――

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Source: りかこの乳がん体験記

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