先日報道された、30歳の人気俳優の死
「自らその命を絶った」と言われているが、
あれほど活躍をしていた彼の突然の訃報は、
今でも信じ難い
まだまだ未来があった彼の死
「勿体ない」と感じてしまうのは、
きっと誰もが同じ思いだろう
が、その苦悩は彼にしかわからない
死を選ぶだけの思いは、
その人にしかわからない重圧だ
中学生の頃だった、
私が初めて「死にたい」と思ったのは...
家にいても居場所がない
学校ではいじめられる
が、「死にたい」と思った理由は
そんなことではなかった
「ただなんとなく」という、曖昧なものだった
だから、自ら命を絶つ人の気持ちが
わからなくもない
「生きていれば、どうにかなるかもしれないのに。
死んだら終わりなのに...」
と、ひとに対しては思える
「私なんか、
一度も“死にたい”と思ったことなんかない」
そう自慢げに言い放っていた母が、
ある意味、「しあわせな人だ」と思った
私が乳がんの手術をし、ホルモン治療中
それは、副作用で身体も心もきついときだった
親子喧嘩の末、両親から「出ていけ!!」と、
実家を追い出された
行く当てもなく、軽装のまま、
10月のくそ寒い夜の街をひたすら歩いた
向かった先は、山
寒さでかじかむ手、
冷えて感覚がなくなってゆく身体...
「このまま死んでもいい」
そう思った
「“要らない子”として産まれてしまったのなら、
私は邪魔な存在。
がんになってさらに迷惑をかけ、
子どもも産めなくて孫も抱かせてあげられない、
最低な娘だ」
...そんな話を、次回の受診のとき、
看護師さんに話したことがある
看護師さんには、
「死んだら駄目。
生きたくても生きられない人もいるんだよ」
そう言われた
そこは“外科外来”
がんの患者さんが多くかかっている診療科だ
看護師さんは当然、
日々、たくさんの命と向き合っている
もちろん、それは私もわかっている
が、
「“死を選ぶ人”と、
“生きたくても生きられない人”は違う」
そんなことを感じた
これは、私の人生だ、私の命だ
生きたくても生きられない人の人生や命を
背負ってはいるわけではないのだ
今回、
『ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者を
安楽死させた』
と、医師が2名、逮捕された事件があった
40代の女性が「余命1年」と診断を受けた病
決して治ることのない、
ただ悪化していくだけの病
自分の力では生きていけず、
ひとの手を借りなければ生活ができない
結果、自ら命を絶つことさえできなくなる――
安楽死に手を下した、
主治医でもないSNSで知り合った医師のことは、
私には到底理解ができない
が、その女性の心情をおもんぱかると、
“自ら命を絶つこと”に否定もできない
もちろん、“何があっても最後まで生きていくこと”が、
この世に生を享けた瞬間からの
前提なのかもしれないが...
だからこんなとき、
「生きたくても生きられない人がいることを
忘れないで」
という言葉に違和感を抱くのだ――
もちろん、
“安楽死”に賛成しているわけではないのだが...
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Source: りかこの乳がん体験記
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