徳川家康公を東照大権現として祀る「東照宮」は各地にあります。
今回の記事で書いております日光東照宮は総本宮ですが、こうして全国に東照宮が創建されたのは、当時の家康公の威光(影響力)が少なからず遍(あまね)く行き渡っていたからなのでしょう。
本殿と祈祷殿などをぐるっと取り巻く廻廊(かいろう)には、“眠り猫”とその真裏に彫られた2羽の雀の彫刻があり、猫が眠っていると雀が安心していられる、つまりそのくらい世が平和であることを願ったものだと言われております。
それらの彫刻の下をくぐり抜けますと、家康公の御廟のある奥宮へ行くことができます。なだらかな細道とやや急な階段を上りますと、じきに拝殿の正面へ辿り着きます。
ここに辿り着くまでは、季節によっては、それなりに体力を消耗するのではないかと思われます。
いざ拝殿にてお参りするかと思いきや、“まずは後方へ回るように”と奥宮の授与所の方に言われますので、そのまま御宝塔の周りを歩きます。
御宝塔の脇にあります樹齢600年を超えると言われる“叶杉(かなうすぎ)”にもお参りしつつ、ようやく拝殿にてお参りです。
今回は、この拝殿にて降ろしていただいた御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「人間は、自らの生き様(人生)に、ついには(=最終的には)その良し悪し諸共“覚悟”をもたねばならぬだろう。
周りの手出し(=教育すること、世話を焼くことなどの外的介入のこと。)はあれども、自らの日常(=普段の生活)を一つひとつ定めて(決めて)いくものである。
一つひとつを何らかの規範(基準、価値観)で選び取る、そこには、けして見逃せぬ“要点(=大切な事柄)”がある。
それは、自分が果たして何の“一部”であるか、を常々(いつも)意識していることである。
家族の一員、地域の一人、国の・・・等、ただ一人においても、なおこの世においては、様々な立場が敷かれ(=設けられ)各々が相応の役割を負っている。
すべて緻密な関わりによりてのこの世ゆえ、人ひとりの力は僅(わず)かなりとも、ひいてはその(構成要素の)積み重ねこそが、安泰か否かを定める(決める)。安易な“逸脱”は、かならずや混乱を呼ぶことになり、いずれの時代も厳に慎まねばならぬ。
そしてもう一方の意味合いにおいて、欠かせぬ事柄を伝えよう。
それは、自分の存在を“どの一部と定めるか”ということである。
もっとも根本的な“家族”の一員でも良かろう。地域の、組織の一員として身を処していく(=ある状況の下で判断・行動する)でも、無論良かろう。
なおかつ、自らを、より大きな括(くく)りである、国、大陸、あるいは“人類” 、そして“宇宙”の一員として捉(とら)えるならば、すでに、見やる先(=目線)は(別の次元に)変わったも同然。
単に、目に見える物事のみならず、たとえ見えずとも、より壮大な“流れ”(エネルギー)を味方につけていく者こそ、時代を席捲(せっけん)し、自らの命(使命)を果たすのである。」
(次回③へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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