神の詩 第三章第四節

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神の詩 第三章第四節

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「行動を控えても行動を超越することはできないし、単なる放棄によって完成に達することもない。(四)」
私たちは、
二つの大きな思考センターを持っています。
一つは脳、
もう一つは心臓
にあります。

脳の思考回路は男性性が優位で、
論理的、積極的であり、物質的な探求心も旺盛になります。

心臓の思考回路は女性性が優勢で、
直感的、受動的で、包括的であり、精神的な面を大切にします。

そのどちらかが極端に優勢になると、
物事を理解して、
受け入れ、
消化する時に、
歪が生じやすくなります。

そのため
日常生活の中で
日々行動しながら微調整を行い、
バランスをとっていくことが大切になります。

心臓の思考回路は優しく直感的です。
心臓で発した思いの波動は、
血液循環と共に全身にくまなく拡がり、
それから
肉体の外に放射され拡がっていき、
多くの人にも良い影響を与えます。

意識的に心臓で考える習慣をつけると、
思考の質が代わることが実感できます。

人は、
自分の思いを行動に移していきます。
行動の質を決めるのは、
動機であり、
それは
意識の在り方と思考の質によって作られます。

どこの思考のセンターを優位にするかは、
行動に大きく影響していきます。

人が解脱までの長い間に、
行動(思い、言葉、行動)によって自らの責任を
しっかりと学んでいきます。

その中には、
自らの存在責任という
とて大きく困難な課題も含まれます。

人は
自由意志を持つために、
行動によって
常にカルマが作られます。

カルマのシステムは、
魂と心と肉体のバランスを修正して整えるために存在しています。

私たちが成長していくためには、
行動によって
心身の全体のバランスを
整えていく必要があります。

そのため
行動を控えることによって、
カルマを減らしても、
行動を超えることが出来ないのは明白です。

アルジュナが神弓を投げ出したように、
何もせずに放棄することも、
地上に下りてきた使命を放棄することになってしまいます。

また
アルジュナは、
この戦争の前に領土も財産もすべてを放棄させられて、
12年間にも及ぶ森の中での隠遁生活を強いられてきました。

それは
あたかもすべてを放棄した智慧の道を歩んでいるかのように見えますが、
智慧の道とは
離れたものであったようです。

なぜならば、
その貴重な12年間を
失った王国のことや邪悪なドゥルヨーダナの不正義な仕打ちのことなどで
頭が一般だったからです。

物質的なものを
いくら放棄しても、
心の思いまで放棄しなければ
智慧の道には入ることはできません。

それでもアルジュナは、
その間にしっかりとした行動の道のための準備を行い、
すでに
行動の道へと選んでいたのです。

「行動を控えても行動を超越することはできないし・・・」

この
「行動を超越する」
という原文のサンスクリット語は
naiskarmyamで、

これは
「無執着行動、無執着活動」
という意味もあります。

これは、
すべての活動が
執着の全く無い状態で行われることを意味します。

つまり
自我が無い状態、
真我の状態に達したまま行動する
ということを意味しています。

それは、
行動を控えて達成できるものではありません。

「単なる放棄によって・・」

出家遁世によって、
すべての義務と権利を放棄しても、
それだけで解脱に到達できるわけでもありません。
出家遁世の道を選ぶのであれば、
先に必要な義務の履行を修了し、
さらに
感覚器官の制御が出来なければ、
最終目標への到達は難しくなります。

「どんな行動も、知っているだけでは十分ではありません。知識をどう活用しているかが問われます。因果律の法則を回避するために知識を活用しているか。人々を導くために知識を活用しているか。法則を理解してもらうために知識を活用しているか。」エドガー・ケイシー281-31

「霊的真理を学んだとしても、それを活かすことが全くないのであれば、それは首にかけられた石臼となります。」エドガー・ケイシー2746-2

次は

「誰もがブラクリティ(原物質)から生まれたグナ(要素)に否応なく行動させられているので、一瞬といえども行動しないでいられる者はいない。(五)」

よく内観してください。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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