「余命を知りたいと思いますか?」――

「余命を知りたいと思いますか?」――

その質問に、一瞬たじろいだ

...と同時に、
もう何度も考えたことでもあった

が、いくら考えても答えは出ない

それは、状況が様々だから

そして、気持ちは変わるから

たとえば、余命が年単位だとしたら――

“あと3年”は、受け入れられるだろうか

「死ぬまでに、やりたいことをたくさんしよう」
「死ぬまでに、身の回りの整理もしよう」

と、動けるうちに、
やりたいこと、やらなければならないことを
片っ端から片づける

が、“あと1年”となれば、状況が変わってくる

四季を一周しかできないのだ

余命を知りたいかどうか迷いが出る、
微妙な命の期限だ

“あと半年”...

“あと3か月”...

そうなると、知らない方がいいのだろうか

さすがに、“あと1か月”は知りたくない

以前は、「余命は知りたい」

そう思っていた

たとえそれが、“余命1か月”であっても

が、今、死が迫ってくる現実を
冷静に受け止められる覚悟が着かないような気がしている

母を見て思った

「本人は、余命は知らない方がいいのかも...」

と...

少なくとも、母には知られなくなかったし、
知らせたくなかった

「あと2か月」なんて、あまりにも酷すぎる

本人は未だ“希望”を抱いている

「なんとしても悟られないようにしなければ...」

その思いだけだった

“がん告知”は、今は、
「知りたい」「知りたくない」という本人にはお構いなしに、
簡単に、

「がんですね」

そう言われる

もちろんそこには、
“がんは治る病気になってきたこと”

そして、
“治療をはじめるとなれば、本人には隠し通せないこと”

さらには、
“医療者と患者、家族と一緒に、
 病気と闘っていきましょう”

そんな意味も込められている

余命も、
「簡単に言われた」という話もちらほらと聞く

私が乳がんがわかったとき、
肝臓に転移があったとして、
ステージはⅣとされた

色々と調べて、
余命は大体わかってはいたが、私は、

「あと何年生きられますか?」

そう主治医に聞いたことがある

私は主治医の口から
余命が告げられると思っていた

が、がん告知を受けたばかりの私に、
主治医は余命は言うことはなかった

それは私にとっては希望でもあった

ほかの医師なら、もしかしたら、
データに沿った余命を口にしたのかもしれない

  母は2度、緩和ケア病棟に入院したことがある

  一度入院すると、
  なかなか退院はできないらしい

  まぁ、“終末期”になるということは、
  そういうことなのだろう

  「あと2か月だと思ってください」

  1度目の入院のとき、
  私たち家族だけに母の余命を告げられた

  母はあとで主治医に、こう聞いたらしい

  「私、あと1か月?」

  と...

  が、主治医は、

  「いやいや、そんなことはないですよ」

  と、明るく返してくれたそうだ

  あのとき、母が余命を知ったら...

  母が口にしていた

  「がんを治す」という希望も、
  「負けてたまるか」という意思も、

  きっと、失われていただろう

  ぼんやりとした灯りがともる部屋

  飾り気のない質素な緩和ケア病棟の一室

  その中で、一人、眠るように逝った母

  最期は淋しく旅立たせてしまった...

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Source: りかこの乳がん体験記

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