岩手盛岡 櫻山神社①本殿【信念が人生を創る】

その他

盛岡市内丸には、広い公園(盛岡城跡公園=盛岡公園)があり、その一画に「櫻山(さくらやま)神社」がお祀りされています。

御祭神は、南部家初代開祖の南部光行公のほか、信直公(盛岡藩初代:南部家二十六世)、利直公(盛岡藩三代:南部家二十七世)、そして利敬公(盛岡藩十一代:南部家三十六世)です。

地元の方でしょうか。平日の日中でも参拝者が途切れることはありません。神社の目の前が道路で、門をくぐって短い階段を昇るとすぐに本殿ですので、皆様道すがら、気軽にお参りされていらっしゃる印象です。

こちらの神社は、実は以前にもお伺いしたことがございます。ですので、ありがたくも今回は二度目の参拝です。数年来の日々を想いながら、御祭神へのご報告兼ねて、ゆっくりとお参りさせていただきました。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「“正解” “不正解”と図ること(※ここでは正解不正解を念頭に、意図的に行動することを示します)、それに注力していると、いつしか“動き”が鈍くなっていくだろう。

正解を求めない(探らない)生き方は、果ては、周囲の者、あるいは後世(の人々)に“愚かしい”と思われるかもしない。

だが、わたくし共は、“これこそ”と思い、定めし(決意した)事柄ならば、それがたとえ(万が一)正解ならずも、珠玉の様(=またとない生き方)と思いたい。

無論、人は“惑う”生きもの(=生命体)である。

まるで、さわさわと、はためくがごとくの虚ろな心のあり様(※このときに、幡(はた)が風に不規則になびく様を、御祭神は見せてくださいました。)が、いつも人の心に内在する。

たとえ、時代を拓き(世を牽引しする)者、猛者(もさ)とても、(その心を)持ち合わせているものである。

この(そぞろになびく)幡に、“われこそは”、そして“今こそは”と、あたかも“鋲(びょう)”を打つかのごとく、心に念じ(=決心して)、ときに果敢に前へ進むがよい。

結末(=正解・不正解)のありき人生より、己の信念を日々の礎とし、やがては強固な(見事な)“結実”を目指してまいられよ。」

(次回②へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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