岩手盛岡 櫻山神社②南部稲荷神社【人類の歴史を背負う】

その他

櫻山神社は、境内がやや急こう配です。と申しますのは、本殿の脇にはまた別の階段があり、そこを上がると、ちょうど本殿の上部(屋根)の脇の位置ほどに立てることになり、今度は巨大な“三角状”の岩、通称「烏帽子(えぼし)岩」が現れます。

この烏帽子岩は、本当に見上げるほどの凄い大きさです。そして見事なまでの三角状の反(そ)り上がるような形状に、今回改めて感動いたしました。

そのすぐ脇の小階段の先には、目指す「南部稲荷神社」がございます。

簡素な造りの鳥居とお社自体が近接していますので、参拝は一人、ないし複数でも横並び状態になるのではないでしょうか。

この日は、強風の一日で、稲荷神社はそれなりの高台ですから、風は容赦なく吹き付けます。ですが、風がむしろ心地よく、髪は大いに乱れましたが、これもまた良い思い出となりました。

同じく、この稲荷神社に参拝するため、後ろお待ちいただいている方々に気を遣いつつも、こうして度々稲荷の神に詣でることができることに感謝の気持ちを深めました。

この地で人々を見守り続けてきた稲荷の神の御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

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「いつの時代も人は、身近な存在(=家族)の一員として、ひいては地域の、さらには社会の一端(=一員)として、様々な役どころ(役割)を背負って生きていかねばなりません。

世に言うところの “十字架を背負う”、あるいは、期待(注目)や想いなどを一心に受け止めることは、少なからず人が生きていく上では、(生きること)それ以上の困難(=生きづらさ)を呼ぶことにもなり、少しでも取り払う(避けていく)気持ちが沸き起こるものでしょう。

しかしながら、もはやこの世に生きる者すべてが、これまでの人類の生き様によって積み上げし物事(=歴史)、あるいは、かつての(=転生前(過去世)での)生き方の改心も一手に(自らの人生に)引き受けるがごとく、その宿命を負っているということを、何人(なんぴと)もけして忘れてはなりません。

目に見える(=明確にわかる)ような期待の対象のみならず、あるいは、真実(=本当に)苦難を連綿と繋げたその最の果て(=最果て)に続く者としての(※この場合には、家系などを指します。)生き方を求められるべく者のみならず、いずれの者でさえ、幾多の生き様(=これまでの人類の歴史)を負っているのです。

この(人類が作り成す)連鎖においては、誰しもが逸する(逸脱する)ことは叶いません。

たとえそれが、(人間のみならず)肉体を離れし存在となったとしてもです。

逆に申せば、そういった人類がこれまで創り成した諸々(の事象)と、そこからのまさに絡まるがごとくの因縁こそを、我こそは僅かでも解(ほど)いていきたい(改めていきたい)という、世直しと、さらなる創生の意志を念じて(意志を固めて)こそ、ようやく、一つの転生が果たされる(=許される)ことを、あなたがたは、すでにこの世に生きながらにして会得せねば(=心底から気づかねば)なりません。

ここまでお伝えしたところで、あなたがたに、今一度考えていただきたいのです。

この世に生きれば、立場や役目を、幾重にも、そして歳ゆくほどに益々複雑に授かることになります。

身動きのとれぬ自分と見なすか、それとも、そういった一つひとつの負荷が、自らの生きる力を奮い立たせるのかーーーー

“選択次第”ーーー 意味とすれば、どの人も一様(いちよう)に理解し得ることでしょう。

ですが、あなたがたはこれから、この“選択次第”ということを、それこそ世に見る事象(現象・結果によって)身に堪(こた)えるほど実感していくことになります。

それを今回、いずれの人も背負う、“人間”という生命としての十字架を引き合いに出し、万事(=いずれにしても)選択を導き出すための、自らの思考(=捉え方)について再考するべきとして、われわれ(神)は求めました。

人類の流れより逸脱し得ぬのは、けして悲嘆するべき事柄ではありません。

むしろ、その真っ只中に今自らがまさに肉体を得、(=人間として)この世に様々な道程(生き様)を示していく、その選択の術(=選択権)が一手に天より託されている、そのことに何より気を奮って(=やる気を高めて)まいるのです。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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