一心寺では、前回の記事①でもお伝えしたとおり、歴史に伝わる方々のお墓が幾つも建てられております。一般の墓地のなかに、しばしばそういった有名なお墓がある、という感じです。
お寺によっては、部外者の参拝お断りのところもあるかとは思いますが、こちらでは、開門時間内であれば自由にお参りすることができるそうです。
わたくし自身、一般の墓地へに足を踏み入れることは遠慮もあり、遠巻きに手を合わさせていただくことにとどめています。
この度の一心寺の境内にある墓地も、やはり檀家さん方にとって大切な聖域ですのでそっと過ぎ去るつもりでおりました。
お骨佛堂については無知でしたため、そのことについてわたくしがお尋ねした警備員の方が、(何かを察したのか?)親切にも、境内を巡回しがてら、墓地内の有名なお墓へ次々と案内してくださいました。
さすが、日夜巡回していらっしゃる方です。一心寺にまつわる歴史や言い伝えなどを事細かに解説してくださり、まさに目から鱗状態で、心楽しいひとときを過ごせました。
今回は、徳川家康公の8男で、若くして亡くなった“松平仙千代”(享年6歳)の墓前にて手を合わさせていただいた際のお言葉をお伝えいたします。
非常に利発であることがうかがわれる素晴らしい御言葉です。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
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「“右も左も分からない”(※この場合は、勝手(要領)や、あるいは道理などの分別がついていない、という意味です。)――― これは、未熟の身ゆえの言葉であり、もし、右や左(=処世術)が分からぬようなら、謙虚なる心にて、“上下”を身に着けてまいるのがよろしいでしょう。
“上”とは神仏、そして先達(せんだつ:目上の者、師匠など。)なりて、それらを自らの心の指針(礎)に据(す)えることです。
一方で、“下”とは、いつ何時(なんどき)も、わが“足元”なりて、何事も、一足飛びに物事は成せることはありませぬゆえ、その歩みの一つ(=一歩)を確実に経ていくことです。
周り(周囲)を安易に見渡せば、心は惑うばかりでしょう。ですから、わが人生には、有り難き“上”と、そして天より与えられし(=定めれらた)“下”(=自らの在りどころ)、その二つがあれば、もはや十分ではありませんか。
心を寄せるべき、尊き御姿(=存在)はいつの時代にもやはり顕在し、そしてなお、自らの足を踏みしめるべき大地(=本分・役割)は必ずや配されております。
人生は総じて、通り一遍(=順当)にはまいりません。ですがけして苦慮したり、大袈裟なものなどとはせず、唯一(=ただ)固き信念にて、迷わず自らが成すべき物事を黙々とーーー
これが、わたくしたち(人間が)生きるべき、本来の姿です。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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