きのう、乳がんを経験された、
タレントの方のコメントを目にした
彼女は確か、私の数か月あとに、
乳がんの手術を受けている
彼女がたまたま健康番組で、
乳房にしこりを発見したことは有名な話だ
“手術から13年”という彼女の気持ち
そこにはいくつも”共感”があった
(以下【週刊女性PRIME】より抜粋)
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あれから、もう13年。早いものですね。今はもうホルモン治療も卒業して年に1度の検診だけとなりました。でも不思議ね。毎日ホルモンの薬を飲むなんてすごくイヤだったののに、いざ、”やめてもいい”となると不安なの。「この薬を飲んでいたから今日まで再発しなかったのに、やめて大丈夫なの?」って、心配になってしまうのね。
私も、毎日ホルモン剤を飲むのがイヤだった
でも、治療が終わって服用をやめたら、
それはそれで不安だった
「それまで薬が抑えてくれていたがんが、
芽を出すのではないか」
そんな恐怖心が襲ってきた
検査も同じ
年に1度の大掛かりな画像検査
10年以上が経って、
「もう画像検査はしなくていいよ」と言われたものの、
「検査しなかったら、転移してもわからないじゃん」
そう思った
アメリカでは画像検査はしない
が、やっぱり検査をしないのは不安だ
乳がんは、“10年再発しなければ、寛解や完治”とみなされることもあります。でも私は今も、がんとともに生きている気持ち。10年以上経って再発することもあるし、不安は完全にはなくなりません。
これはきっと、がんを経験した人なら
同じ気持ちだろうな...
乳がんは特に、15年経っても20年経っても、
再発の事実がある
理論的には”完治”という言葉を使われることが多いが、
がんを経験した者の気持ちは、
そう簡単には割り切れるものではない
「一生だよね」
そう言っていた乳がん経験者がいた
まさに、その言葉そのものだと思う
でも今では乳がん仲間を元気づけるため、「私は選ばれたのかな」と、思えるようになりました。ピンクリボン運動に参加させていただいたり、がんへの理解を深めるために『スター混声合唱団』を結成したりと、さまざまな活動をしています。それは、私自身がピンクリボンの仲間たちにずいぶん助けられたからなんです。
きれいごとかもしれない
それでも私は、
誰かのために、
乳がんでつらい思いをしている人たちのために、
「なにかできれば...」
「なにかをしていきたい」
と、思っている
もちろん私も、
ほかのがん患者の方たちに助けられてきた
2度の温存手術と28回にわたる放射線治療がようやく一段落したころ、つらい治療は終わったのに、今度は再発への不安が湧いてきて、落ち込んで......。「このままじゃダメだ」と、精神科にも行きました。そんなとき、ピンクリボンのイベントに呼んでいただいたんです。
行ってみたらびっくり!! 乳がんの先輩方が大勢いて、しかも、みんな明るく元気ではつらつとしているの。
「邦子さんいらっしゃーい。仲間ね!!」と言われたとき、うれしかったなぁ。もちろん、人それぞれ思いがあって、全摘手術で乳房を失った方だっているし、自分が女性じゃなくなった気がして傷ついた方もいる。みんないろんなことがあったはずです。でも、共通しているのは、「今、生きている」という気持ちです。
手術が終わって退院したあと、
”がんの本当のつらさ”がわかる
”がんとの本当の闘い”がはじまる
私もホルモン治療の副作用で、うつ状態に陥った
それは副作用だけではなく、
”がん”という病も関係していたのかもしれない
が、私は精神科には行けなかった
行く勇気がなかった
ひたすら我慢していたっけ...
どこか、”要らないプライド”が
邪魔をしていたのかもしれない
当時は、”精神科”は、今とイメージが違った
近所で変な噂にもなり兼ねない
”地方”とは、そんな場所でもある
イベントに参加して、「ひとりじゃないんだ」って気づいたの。「私と同じ思いをしている人がたくさんいる!!」ということを。
治療が終わり、がんだったことを忘れたい人は忘れちゃえばいい。でも悩んでいる人に「仲間がいるよ」と伝えたい。
外に出る気になれない人は、無理に活動しなくてもいい。今はSNSなどでもつながることができるし、「ひとりじゃない」と気づくだけでも十分です。
”がん”は孤独を生む
「ひとりじゃない」って気づいてほしい
仲間がいることに気づくと、
きっと心強く感じると思う
治療が終わって時間が経って、
がんを忘れたい人もいるだろう
思い出したくない人もいると思う
私は、
「治療も終わっているのに、
いつまでがんを語ってるの?」
と、よく言われた
(もちろん、
例の嫌がらせをしてくるストーカーなのだが...)
でも、私は、
「悩んでいる誰かのために、なにかできたら...」
そう思ってここまで来た
時にはがんに押しつぶされそうになったり、
がんを忘れたいときも数えきれないほどあった
でも、「これがきっと、私の”使命”」だと思ってきた
やってきたこと、やりたいことを
そんなつまらないことに邪魔されるつもりはない
そして、還暦を迎えた彼女は、こうも言っていた。
「放射線の影響で13年間全く生えてこなかったわき毛が、3本だけ生えて来るようになったの」と。
そう笑いながら、人間が持っている力のすごさに驚いていた。
「13年経って、気持ちも少しずつ変化してきて、近いうちに乳房の形成術にもチャレンジしたい」とも語っていた。
当時はそんなのどうでもよくて、「命さえあればいい」と思っていたんだけど。こんなふうに考えられるようになったのは、それだけ元気になった証拠かな。今は、乳房の再建技術も驚くほど進化しています。全摘した人だって、大丈夫。だから、がっかりなんてしないで。
新型コロナウイルスの影響で制限はあるけれど、ピンクリボンはずっとつないでいきたい。オンラインなどさまざまな形で、自分にできることをいつも考えています。
「命さえあればいい」――
そう、まずは”命優先”だったっけ...
”再建”は、実際は難しいと私は思っている
自家再建にしても、インプラントにしても、
痛みが伴う
時間もかかる
術後のケアや、
不具合が出てしまうケース
また、都市部へ行かなければ、
手術が受けられないこともある
費用もそれなりにかかってくる
この辺りでは、再建をする人はほとんどいない
地域性は大きいように感じている
それでも”再建”は、
乳房を失った女性たちの、
大きな救いになるのは確かだ
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“乳がんの先輩がいない”という状況
時に感じる、
「自分が前を歩かなければ」というプレッシャー
これまで、
私の前を歩いている人が抱えている現状や不安を
知る術がなかった
この、彼女のコメントを読んで、何かが腑に落ちた
また頑張れそうな気がする
感謝――
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Source: りかこの乳がん体験記
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