生物学的観点から考える!いじめはなぜなくならないのか?

内科医

 

 

先日、とある番組で、いじめに対して先生や親が介入すべきかどうか、という問題が討論されていました。少し視野を広げて、生物学的観点からいじめについて考えてみたいいと思います。

 

 

本能として存在するいじめ

 

いじめは動物の本能であるとも言えます。スタンフォード大学の著名な神経科学者、ロバート・M・サポルスキーは、人間と似たような動物として、アフリカのサバンナでヒヒの生態を研究しています。ヒヒも人間と同じような集団生活をし、愛情や憎しみが存在します。

 

例えば、ヒヒのボスは名実ともにNo.1です。他のヒヒはボスには逆らえません。ボスに暴力的な仕打ちをされたオスのヒヒは、ボスに逆らえないので、弱いヒヒをいじめます。自分より弱いヒヒを狙って自己のストレスを発散するのです。

 

人間と同じように、ヒヒの世界でも、八つ当たりや弱いものいじめが存在します。いじめというのは、動物の本能の中にあると考えられます。

 

 



武術研究科の甲野善紀氏と脳科学者の茂木健一郎氏が書いた『響きあう脳と身体』という本の中で、甲野氏はいじめについてこう論じています。

 

私はいじめというのは人間の本能だと考えています。鶏だってちょっと毛を抜いて変な恰好してやれば、群れからつつき殺されたりするわけで、弱々しいやつを攻撃して強い種を残そうとするのは、生命の鉄則なんですよ。「いじめたい」という衝動が、おそらく本能の中にあるのだと私は思います。

であれば、本能があるということを認めたうえで、その本能をどうコントロールするかということを学ぶしかない。しかし、今は「とにかくいじめはやめましょう」という、臭いものに蓋をするような不自然はやり方でごまかそうとしている。それでは、ちっとも人間存在に深みに、人々の意識が向かない。生物には弱いものを助けようとする本能もありますが、同時に淘汰しようという本能もある。どうしてそういう矛盾があるのか、という本質的な問題と向き合ってこそ、人は人として成長していくのだと思います。
 

響きあう脳と身体 (木星叢書)
甲野善紀
バジリコ
2008-10-03 
 
 
 

 

私もそう思います。清廉潔白な人はそういません。動物の本能としてのいじめが、人間にも存在するのです。

 

 

町工場のおじさんからいじめを学ぶ

世界一有名な町工場のおじさん、植松努さんの“いじめ論”が秀逸です。このおじさん、北海道の工場で自分で開発してロケットを作り出しているスゴイ人です。

 

 

 

 

“僕が子どもの頃、帽子を取られました。

僕が、返してもらおうとしても、みんなが上手に帽子を投げてキャッチするので、僕は、みんなの輪の中を、くるくるするだけです。
それをみんなが笑います。

大切な帽子だったので、乱暴に扱われるのがいやでした。
とても悲しかったし、取り返せない自分が悔しかったです。

で、結局、僕は人間を攻撃します。そしてけんかになります。
で、先生に怒られます。

彼らの言い分は「一緒に遊んでいただけす」「ちょっとふざけただけです」「植松君も楽しんでいたと思いました」です。
僕は、泣きじゃくっていて、ちゃんと答えられません。
先生が言います。

「みんな、遊んでいただけだって言うぞ?それを、お前が怒るからダメじゃないか。」

そのとき、僕は、「なるほどね。もう、先生を信じちゃいけないんだな。」と思いました。

以来、僕は、人とかかわらなくなったと思います。

そもそも、ふざけたい人たちに近寄らなければいいのです。
そんな人の仲間にしてもらおうなんて思わない方がいいのです。

僕のパーソナルエリアは、とてつもなく広くなりました。

人間は、相手の気持ちがわからないです。
だから、いじめは、「他人がどう感じたか」をいくら考えても、情報になりません。

「いじめを見た事がありますか?」
=うーん、あれはいじめかなあ、ふざけてるだけかも・・・

「嫌な思いをしている人はいますか?」
=いやー、人の気持ちはわからないし・・・

「いじめられたことはありますか?」
=あれはふざけてたのが、ちょっとエスカレートしただけかも。そんなことを、がまんできない自分がだめなのかも・・・
になってしまうことがほとんどです。

現在の学校では、「いじめ」の定義が曖昧で、しかも、「いじめ」を判断するのは先生や教育委員会です。

先生や教育委員会が「いじめ」を「ただふざけているだけ」と判断したら、「いじめ」は生じていないことになります。
これで、「いじめ」が無くなるわけないです。

そして、「いじめ」ののりこえかたや、「いじめ」の恐ろしさを知らない人たちは、社会に出てから、いっそう大変になります。

つらい思いをしてる人に、
「それは、お前の思い過ごしだ」「気にしすぎだ」「気にするな」と言ってしまう大人が、いかに多いことか。
僕は、助けてくれなかった先生を信じなくなりました。

でも、そのあと、助けてくれる人や、信じられる人と、たくさん出会いました。
一人ではできない事ができるようになりました。

だから、人間でどんな嫌な思いをしても、人間を嫌いにならない方がいいと思います。
この世には、必ず、信じて支えてくれる人がいます。

人間を嫌いになって、関わりを立つと、そういう人と出会うチャンスを失います。もったいないです。
でもね、やっぱり、恐ろしい人はたくさんいます。
そういう人と、距離を置くのも大事です。

そのためにも、沢山の人とかかわって、関わり方を学んだ方がいいと、僕は思います。”

 

 


 

 

いじめの表面的な部分だけではなく、人間の本能としてあるいじめという暗部にも切り込んでいくことが必要だと思います。特に子どもは善悪をよく理解していない未熟な生き物です。その点も踏まえて大人が介入していくことが必要ではないでしょうか。

 


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Source: 内科医「コンソン」の意外と知らない医療のハナシ

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