ごめんなさい、から、ありがとうの人生へ。

メンタルヘルス

 

 

 

 

 

 

かつて、私が20代の頃

父の兄が病気になった。

 

 

父の田舎は東北で

7人兄弟

 

 

病気になったおじさんは優しい人で

夏休みなどに遊びに行くと

何かひとつ

おもちゃを買ってくれる人だった。

 

 

電気屋さんを営んでおり

「電気おじちゃん」と慕っていた。

 

 

 

 

 

電気おじちゃんを見舞うため

父は先に田舎へ帰った。

 

 

私と母は

後から新幹線で東北へ向かった。

 

 

しかし母はとても心配症で

頼れる父が不在な中

娘(私)と二人、電車を乗り継いで

無事に田舎へ辿り着けるか?始終不安を口にしていた。

 

 

私も旅なれているわけではなく

というか、電車旅なんてしたこともなかった。

 

 

でも、バランスなのだろう。

隣に不安がっている人がいると

気持ちがシャキンとするのだった。

 

 

絶対大丈夫。

だって、切符はあるし

確認して乗車してるし

この線路がロシアにつながっているわけがない。

 

 

もし、どこかで乗り換えを間違っても

途中で降りて

駅員さんに尋ねれば良いだけ。

何にも心配なんていらない。

 

 

私は堂々としていた。

 

 

それよりも

当時は空手の稽古に明け暮れていたので

体の疲労感が半端なかった。

 

 

特に前日は、ハードな選手強化クラスで

アドレナリンが出過ぎて

ほとんど眠れていなかったのだ。

 

 

だから、新幹線で長時間

同じ体制でいることの方が

よっぽど辛かったのを今でも覚えている。

 

 

母を元気に励ましつつ

車窓の景色が自然豊かになって行くのを

ぼんやり眺めていた。

 

 

 

 

なんの問題もなく東北へ着いた。

ログハウスのような小さな駅は

石油ストーブが置かれ、駅員さんはひとりだけ。

 

 

ワラに覆われたナマハゲのお面と目が合う。

ぜんぜん可愛くないけれど、怖くもないそれに

また会えたね、と心の中で呟く。

 

 

辺りは暗くなり始め

吹雪いている。

 

 

親戚が車で迎えに来てくれた。

「よう来なさった、疲れたでしょう?」

 

 

疲労と安堵の混ざった

私の白い息

久々の再会も相まって顔が緩んだ。

 

 

東北の冬は厳しいが

人の温かさは細胞に染み入る。

 

 

 

 

 

 

 

それから何年か後

私は一人暮らしをしていた。

 

 

絶対に黒帯を取る!と

情熱を注いでいた空手だったが

 

 

昇段する頃になると

うつ病になってしまった。

 

 

黒帯は取れたものの

 

 

こんなはずじゃなかった

どうしたこうなった

 

 

毎日がその繰り返しで

抗不安薬がないと過ごせない日々。

 

 

道場の職員になっていた私は

毎日、体を引きずるように職場へ向かった。

 

 

事務業務や、少年部指導が主な仕事内容であったが

私の体調を考慮して

できる限り負担を減らしてもらっていた。

 

 

それでも

 

 

今日が無事に終わるのだろうか…

ちゃんと指導ができるのだろうか…

イレギュラーなことがあったらどうしよう…

 

 

ざわざわが大きくなる前に薬を飲んで

どうにかこうにか一日を終えていた。

 

 

 

 

 

変なの

 

 

東北へ向かう新幹線の

不安がる母の隣で

あんなに堂々としていた私なのに。

 

 

今は、日々の仕事に

薬なしではいられない。

 

 

不安が波のように

次々と押し寄せてくる。

 

 

薬には依存的で

これがなかったら正気でいられない。

狂ってしまいそうだ。

 

 

そんな状態であるにもかかわらず

空手から離れられない。

 

 

でももう、稽古が楽しいとは1ミリも思えず

別人になったかのようだった。

 

 

休職をして、もう一度復職を試みたが

結局またうつがぶり返し、退職を決意。

 

 

一人暮らしで自宅療養

ベッドの上で、閉鎖的な毎日を過ごしていた。

 

 

不安、不安、不安

絶望、絶望、絶望

 

 

これが当時の私の脳内。

 

 

 

 

 

 

 

 

何もしない自分を

許せるようになれたのは

自宅療養3ヶ月くらい経ってから。

 

 

それからは

新しい環境で、全く違ったことをしよう

そう思えるようになった。

 

 

あんなにのめり込んだ空手を忘れることは

悲しかったけれど

環境を変えないと、また同じことを繰り返す

それだけは確かだったから

 

 

私は地元のスーパーで

単純作業の短時間バイトを始めた

 

 

それがすごく良かった。

 

 

初めは緊張したけれど

ようやく日常が周り始め

誰でもできるような仕事でも

社会に関われることが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やれるだけやった

でもダメだった

 

 

そんなことは人生でたくさんある。

仕事も、人間関係も、何もかも。

 

 

でも、それって誰も悪くない。

誰も悪くないんだよ。

 

 

 

 

 

人には自分に合った

フィールドというものがある。

 

 

そこが初めから合わなかったり

あるいは

初めは良くても、だんだん合わなくなることもある。

 

 

全ては時間と共に変化してゆくから。

 

 

だからどんなに愛したフィールドも

卒業は、いつか訪れる。

 

 

そうしたら

また次のフィールドで生きる

それだけのこと。

 

 

命がお腹で発生し

世界に誕生し

やがて年老いてこの世を去るのと一緒。

 

 

生きる場所は

同じようで、常に変わってゆく。

 

 

 

 

 

 

頼れる父がおらず

不安ばかり言っていた母も

 

 

うつ病になり

絶望感しかなかった私も

 

 

ただただ精一杯だった

 

 

誰が悪いわけでもない

みんな純粋に守りたいものがあって

誰も傷つけずに生きる事はできない

 

 

だから私は

これからはもう

 

 

世界に向かって謝り続けるより

ありがとうを言いたい。

 

 

 

 

 

落ちるところまで落ちれば

「落ち着く」ことを教えてくれてありがとう

 

 

生かしてくれてありがとう

 

 

守りたいモノを与えてくれてありがとう

 

 

美しい景色を見せてくれてありがとう

 

 

歯痒さの中に、愛情を抱かせてくれてありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで罪悪感の塊で生きてきた。

 

 

こんな私でごめんなさいと

何度、口で、心で、謝って来たかたわからない。

 

 

だから、これからは

その記録を塗り替える。

 

 

ありがとうを

数えきれないくらい

表現する人生にするんだ。

 

 

 

これまでのごめんなさい、が

小さく、可愛くなっちゃうくらい

ありがとうでいっぱいの人生にするんだ。

 

 

いつか来る

最期のフィールドは

ありがとうに埋もれて卒業できるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Source: HSP片付けブロガーの「生きづらさ」が消える片付け

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