鬼のいる世界、いわば人間以外の存在がいる世界と、わたくしたち人間の世界は、おそらく皆様が思うよりももっと身近に接しています。
これらの関係性は、“表裏一体”とも申せますし、なおかつ、国という一つの括りのなかでも、そういった異種の世界と隣接(近接)し、場合によっては、その(鬼側の)入り口が開かれている場所も存在しているのです。
もしかしたら皆様も、神社などへお参りした際に、“空気感がなんだか(他とは)違う”とお思いになったことがあるかもしれません。
それは、この世においては、多種の“領域”が複数存在し、神社もまた、他とは異なる特有の空間でもあるゆえです(=神域)。ですから、神社をはじめとして、わたくしたちは実際には意識してしなくても(気づかなくても)、そういった異種の領域に足を踏み入れたり、あるいは出たりしているのです。
本当に強い領域(磁場/結界)が張られている場に足を踏み入れ際には、わたくし自身、それまで歩いていたところとは、たとえ風景は変わらずとも、その空間(領域)を“支配する”存在が変化したことがすぐにわかります。
『鬼滅の刃』(以下『鬼滅』)では、鬼の活動する“夜”に、あえて生身の人間であるキャラクターたち(=鬼殺隊)が、鬼退治をするべく奮闘いたします。
劇中のセリフにもあるように、けして不死身ではない人間にとっては、たとえ身体を鍛錬しているといえども、夜という異空間にて(鬼に)戦いを挑むのは圧倒的に不利なのです。
そして、主人公が少しずつ場数をこなしながら、戦いの際に繰り出す技などや秘儀などを修得してまいりますが、印象としては、まさに“試行錯誤”―――
以前の記事にも書きましたが、神仏は、霊的な修練という意味では、答えそのものを教えてはくださいません。
ヒントになるような言葉や場面は降ろしてくださっても(課題を乗り越えたのちに、ようやくそれがヒントだったことに気づくこともあります)、肝心の霊的な対処法などは、当初は見たこともおこなったこともありませんので、頭のなかは、“これは一体??”という状態です。
ですから、自身で“どうすればいいのだろう”と自問を繰り返し(ここで、実際には『鬼滅』では“全集中”と表現する、霊的な意識合わせをします。時が止まったような、静寂に包まれた感覚がいたします)、きっかけを少しずつ手繰(たぐ)り寄せる、そういう修練の仕方です。
実地訓練、と申しましょうか、まさにその場に臨(のぞ)むなかで、自分の奥底に眠る霊性を呼び覚ましたり、あるいは、必要な術を会得(えとく)したりするのです。
さて、『鬼滅』に登場するキャラクターたちは見た目も独特ですが、それ以上に、自分の過去の背景が、現在の姿や技(術)の成り方などに密接に関連し、たとえ同じ技でも、キャラクターによってまったく別もののように表現されていました。
強い鬼たちも、その多くは元は人間だったかと思いますが、本当に各々の性格から導き出される力は“千差万別”です。
これはひとえに、自身の魂の“核”を根本としているからです(“核”については後日お伝えいたします)。鬼を退治する“鬼殺隊”も、水や火などの万物を成す性質になぞらえ、その特徴をよく表していますね。
そして、性格(あるいは人間性)も、“核”以上に、自分のおこない(振る舞い)につぶさに影響し、これに関してはわたくしも非常に共感できました。
人間味、と申しましょうか、その者でしか醸し出せないものを、良いものもそうでないものも、『鬼滅』では、そのとおりに明確に表現している、それが実際の霊の世界と共通いたします。
(次回③へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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