東京四谷 本性寺【専心からの人生の飛躍】

その他

お岩さんにゆかりの深いお寺「陽運寺」と神社「田宮稲荷神社」より徒歩で数分のところにありますのが、日蓮宗の「平等山 本性寺(ほんしょうじ)」です。

お寺の名前からして、人間の核心をつくような凄さを感じます。思わず見入ってしまったのはわたくしだけでしょうか?

四谷と言えば、昔の名残で、本当にいたるところにお寺があり、お参りするには人家の敷地にお邪魔させていただくような、住宅地の一画にひっそりと佇(たたず)んでいるところも多いです。

こちらのご本尊は、一塔両尊四士(いっとうりょうそんしし)の勧請様式ですが、“開運毘沙門天”と称される毘沙門天像が有名で、元々は江戸城の本丸に祀られていたものだそうです。

《北向きの毘沙門天》ともいわれ、徳川家康公が、北方の仙台藩伊達氏による謀反(むほん)を起きぬよう、北の守護神である毘沙門天を“北向き”にお祀りした、興味深い由縁をもつ御尊像です。

今回は、毘沙門天よりの御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

***

「物事に“狙いを定める”、これは、その物事のみに注力することではない。

これぞ(ここぞ)という、己の求むるところを確たる“礎(基点)”とし、大地に踏み込み、より高く、そして大きく自らの歩み(おこない)を進ませることこそ、われら(御仏の)本意なり(=願いである)※ここでは、棒高跳びのようなイメージで、高く跳躍する姿を示しています。

志(こころざし)を高く抱く者は、より世を広く得(=世の中を沢山経験し)、深く見定めねばならぬ。

しかるに、元より人は、生まれしより広き見地を求むることは叶わない。

それに先んじ、まずは幼きよりの“専心”ーーー 物事にひたすら思い入れ時を忘れるほどの“没頭”は、はては自らの領域(=他人には分かり得ない独自の世界観)を形成する。

そして、追い求めるごとにいよいよ飽かず、(益々)探究の想いが駆り立てられるとき、若人(わこうど)はやがて頭(こうべ)を上げ、目前に広がる世界(=社会の存在)に気づくだろう。

突き詰めれば突き詰めるほど広がる世とは、まるで辿り着くことの無き荒野のごとし。ゆえに、人は一層、渇望を覚えるだろう。

縦横無尽に、今やこの荒野(=現象界)にも風は吹きすさぶ。

真実をなお見いだせぬ人生の旅はまるで、終わりなき苦行のごときなり。

しかるに、幼きよりの自らに得し“専心”(=これと決めて没頭すること)は、まさに救いの神。

これによってこそ、自らの礎となる御旗(みはた)を荒野の大地に打ちたて、天を翔けるがごとく、人生を大いに飛躍させるのだ。

この世とは、いや、この地上(地球)とは、人のあらゆる生き様を示す(=あらゆる生き方ができる)、まさに“飛翔”の場。

心を、そして身体を、命のある限り大いに(生きること・向上することに)投じ、まさに天・地・人(三位一体)躍動と、そして“協奏”のさまを、われら(御仏)は今こそ望む。」

以上。

***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、
大変励みになります。

精神世界ランキング
人気ブログランキング

※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***



Source: 神々からのメッセージ

コメント

タイトルとURLをコピーしました