大分 宇佐神宮(最終回)摂社:黒男神社【世の平和は日本の民すべてで実現する】

その他

宇佐神宮の境内は広く、境内社も多いですし、なおかつ大鳥居の外にも配されております

摂社の「黒男(くろお)神社」もその一つで、立派な造りが印象的です。

御祭神は、“武内宿禰(たけうちのすくね)”で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代もの天皇に仕えたといわれる忠臣として知られております。

さらには、応神天皇の母堂の神功皇后にもお仕えしたとされますから、なるほど社殿の造りが立派なのもうなずけます。

本殿の上宮と下宮を経て、宇佐神宮の最後にお参りしたのが、こちらの黒男神社です。

わたくし自身、普段よりももっと素の状態でこちらの神と意識を合わせました。そしていただいたのが以下の御言葉です。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「人は、当然のことながら、自らの“本分(=本来尽くすべき責務)”があります。

単に、身分の高低や、あるいは身の置かれた環境では、けしてその良し悪し(幸不幸)を測ることはできません。

世の中には、まるで渦の中心のごとく、広く(世の中に向けて)その存在(そして力)を示す者もあります。

ですが、そればかりでは、どうにも立ち回る(=世の中が機能する)ことは叶わぬのです。

俗に言うところの、“緩衝”のごとく、仲立(なかだて=二者の間を取り持つこと。)として、そういった(力を示す)存在を世につなげ、さらに生かしていくことのできる存在もまた、けして欠くことはできません。

この役目は実に地道でもあり、自分の本意ばかりとはならぬこともあるーーー どこまでも人に尽くし、命を捧げる心意気でなければ、到底務まるものではありません。

ですが、これも妙技でもあり、“匙加減(さじかげん)”とも申しましょうか、自らが関わることの様々な影響をつぶさに知り、そして、(中心の当事者ではない)傍(はた)からの、いわば、客観たる視点にて世の動向を見渡すことのできることは、まさに、こうした仲立の冥利(みょうり)とも申せましょう。

自らの想いが、世の要(かなめ)、大きく世の流れを司る存在を通じてこの世に具現(具現化)され、果ては、民の和平と国家の永(なが)らくの安寧をもたらすことができるなら、これ以上の至福がありましょうか?

この世にとりて、欠くことのできぬ存在、それが、わが国の民すべてです。

一人ひとりの切なる想いは、元より、原始この国(日本)を創りし神々、そして天皇の御心に必ずや通ずるはず。

その崇高なる御心は、今なお一分(いちぶ:微塵)も変わってはおらぬのです。

遥か時(時代)を超え、この国のあるべき姿として、大いなる御心が、民の互いの協和のもとに具現(=実現)することを、わたくしは願ってやみません。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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