宇佐神宮の境内は広く、境内社も多いですし、なおかつ大鳥居の外にも配されております。
摂社の「黒男(くろお)神社」もその一つで、立派な造りが印象的です。
御祭神は、“武内宿禰(たけうちのすくね)”で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代もの天皇に仕えたといわれる忠臣として知られております。
さらには、応神天皇の母堂の神功皇后にもお仕えしたとされますから、なるほど社殿の造りが立派なのもうなずけます。
本殿の上宮と下宮を経て、宇佐神宮の最後にお参りしたのが、こちらの黒男神社です。
わたくし自身、普段よりももっと素の状態でこちらの神と意識を合わせました。そしていただいたのが以下の御言葉です。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
***
「人は、当然のことながら、自らの“本分(=本来尽くすべき責務)”があります。
単に、身分の高低や、あるいは身の置かれた環境では、けしてその良し悪し(幸不幸)を測ることはできません。
世の中には、まるで渦の中心のごとく、広く(世の中に向けて)その存在(そして力)を示す者もあります。
ですが、そればかりでは、どうにも立ち回る(=世の中が機能する)ことは叶わぬのです。
俗に言うところの、“緩衝”のごとく、仲立(なかだて=二者の間を取り持つこと。)として、そういった(力を示す)存在を世につなげ、さらに生かしていくことのできる存在もまた、けして欠くことはできません。
この役目は実に地道でもあり、自分の本意ばかりとはならぬこともあるーーー どこまでも人に尽くし、命を捧げる心意気でなければ、到底務まるものではありません。
ですが、これも妙技でもあり、“匙加減(さじかげん)”とも申しましょうか、自らが関わることの様々な影響をつぶさに知り、そして、(中心の当事者ではない)傍(はた)からの、いわば、客観たる視点にて世の動向を見渡すことのできることは、まさに、こうした仲立の冥利(みょうり)とも申せましょう。
自らの想いが、世の要(かなめ)、大きく世の流れを司る存在を通じてこの世に具現(具現化)され、果ては、民の和平と国家の永(なが)らくの安寧をもたらすことができるなら、これ以上の至福がありましょうか?
この世にとりて、欠くことのできぬ存在、それが、わが国の民すべてです。
一人ひとりの切なる想いは、元より、原始この国(日本)を創りし神々、そして天皇の御心に必ずや通ずるはず。
その崇高なる御心は、今なお一分(いちぶ:微塵)も変わってはおらぬのです。
遥か時(時代)を超え、この国のあるべき姿として、大いなる御心が、民の互いの協和のもとに具現(=実現)することを、わたくしは願ってやみません。」
以上。
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。
■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
コメント